2023年(令和5年)に読書感想日記を掲載した文学作品のうち、特におすすめと思われる10作品を選出してみた。
作家が重複しないよう配慮したものの、10作品に絞るというのは、かなり困難な作業だったことは間違いない。
著名な作家の著名な作品ばかり読んでいるので、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
そういう意味では、どこに出しても恥ずかしくない10冊が、ここに残ったということだと思う。
夏目漱石「こころ」
もう何度目になるか分からない再読だけど、『こころ』はやはり素晴らしい作品だと、改めて感じた。
今年、読書感想日記を書いた漱石の作品は『我が輩は猫である』『門』『こころ』の3作品だが、文学作品の完成度として『こころ』は別格だというほかない。
人間を信用できない<先生>の隠された謎を、少しずつ解き明かしていくストーリーも、読み応えがある。
読むたびに凄いと思い、読み終えるたびに感動してしまう、真の名作。
島崎藤村「春」
藤村の青春時代を描いた自伝的長編小説。
北村透谷はじめ、平田禿木や馬場孤蝶、戸川秋骨など、実在の人物をモデルにした登場人物たちの文学と恋愛(つまり青春)が、情感たっぷりに描かれている。
明治20年代の物語なのに、全然古臭く感じないというのは、時代を超えて共通するものが、青春にはあるということなのだろう。
家族のように仲良しだった学生時代の仲間たちが、それぞれの道を歩み始める終盤の展開は、何度読んでも切ない。
トルーマン・カポーティ「遠い声、遠い部屋」
村上春樹の新訳で登場したカポーティのデビュー作。
珍しく、村上春樹の訳と作品世界とがぴったりマッチしていて、村上春樹の翻訳作品としては、これまでになく面白い長編小説だった(たぶん、村上春樹史上で最高)。
思春期の少年の自我の目覚めというテーマもいい。
性自認の問題を抱えていたり、家庭環境が複雑だったりと、重たいテーマが含まれているが、美しくファンタジックな作品世界は、少年時代の夢みたいなものだったのかもしれない。
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」
何年ぶりかの再読。
初期の村上春樹作品の中では、実はあまり読み返していない作品である(なにしろ長いので)。
だけど、今回読み終えてみて『ねじまき鳥』は素晴らしい作品だと、認識を改めざるを得なかった。
構成や文章に粗いところがあることを含めても、歴代の村上春樹作品の中で最も素晴らしい長編小説と言えるのではないだろうか。
粘り強さという意味では、後年の『海辺のカフカ』や『1Q84』よりも、若いエネルギーが感じられる。
今後、村上春樹の代表作として、個人的には、この作品を推薦することとしたい。
サリンジャー「フラニーとゾーイー」
今年の初夏は「サリンジャー特集」として、サリンジャーの全作品を読破したが、どの作品も素晴らしくて、改めてサリンジャーの凄さを思い知らされた。
あまり評価の高くない『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章』『ハプワース16、一九二四』まで含めて、どの作品もおもしろく読んだ。
今後も繰り返し読みたいと思える作品ばかりだったが、一般にお勧めするとしたら、やはり人気作品の『フラニーとゾーイー』あたりになるのではないだろうか。
自分探しで行き詰まっている現代の若い人たちにも、ぜひ読んでいただきたい名作。
https://syosaism.com/franny/
https://syosaism.com/zooey/
野沢尚「ラストソング」
エンタメ小説からひとつだけ。
ガチガチに感傷的な青春小説だけれど、ガチガチに感傷的な青春小説が好きだという人は、いつの時代にも一定数いるのではないだろうか。
映画のノベライズとは言え、実際の映画を観ることができない現在、この小説の価値は、本当に貴重だと思う。
何度も何度も繰り返し読んで、一つ一つの台詞が頭の中へ入ってしまっているのに、読むたびにやっぱり共感してしまう。
自意識過剰なシュウちゃんにも、傷つきやすいカズヤにも。
つまり、様々な形の青春が、この物語の中には埋め込まれているのだ。
ゴーゴリ「外套」
ロシア文学は、ほとんど詳しくないけれど、この小説の凄さは分かる。
この小説を読んだことで、ロシア文学の世界に目覚め、ゴーゴリのファンとなり、横田瑞穂の愛読者となった。
読みながら背筋がぞっと寒くなり、読み終えた後で主人公<アカーキイ>への共感が収まらないという、かつてない読書体験。
これからロシア文学を読みたいと考えている人は、ドストエフスキーとかトルストイの長編小説じゃなくて、ゴーゴリとかチェーホフの短編小説から入った方がいいような気がする。
まずは、ゴーゴリの『外套』から始めよう。
永井龍男「石版東京図絵」
永井龍男63歳のときの自伝的長編小説。
思うに、自伝的な小説というのは、ある程度、年を取った後で書いたものの方が、良い作品になるような気がする(そのために長生きする必要があるが)。
本作は高度経済成長期に明治・大正の少年時代を振り返った作品で、20世紀前半の激動ぶりを思うと、20世紀後半なんて、ほとんど何も変化がなかったようにさえ思えてしまう(高度経済成長とか学生運動とかバブル経済とか、いろいろあったにせよ)。
少年時代の思い出というのは、どんな境遇の人間にとっても、宝石のように輝く部分があるものなんだろうなあ。
佐藤春夫「わんぱく時代」
佐藤春夫65歳のときの自伝的長編小説で、やはり少年時代を思い描いた作品。
小説を読んで泣くということは、ほとんどないのだけれど、この作品は、最後の一行で不覚にも涙をこぼしてしまった。
作品世界が事実か虚構かということではなく、文学作品として優れた構成だったということだろう。
まるで<お昌ちゃん>が実在の女性であって、本当に佐藤春夫に宛てて手紙を書いて寄越したかのような臨場感。
この郷愁は、やはりそれなりの年季を積んでいないと、出すことが難しいのではないだろうか。
「名刺代わりの10冊」に加えなければならない作品だ。
小沼丹「更紗の絵」
終戦直後の暮らしを描いた自伝的長編小説。
戦後社会が、まるでスケッチのように描かれていて、極めて大変な時代だったはずなのに、郷愁さえ感じられるくらいに温もりがある。
つまり、それが小沼丹という作家の特徴なのだが、こういう小説を読んでしまうと、いわゆる「小説」が小説のように思えなくなってしまうから不思議だ。
ナンバーワンではなかったかもしれないけれど、小沼丹は間違いなくオンリーワンの小説家だったと思う。
日本には、こんな胸キュン小説もあったんだよ。
ぜひ、もっと入手しやすいように、出版社の方にお願いしたい。
まとめ
最近になって、「自分は自叙伝的な長編小説が好きらしい」ということに気がついた。
日本の近代文学は私小説が中心だったから、自叙伝的な作品が多くなるのは当然なんだけれど、自分が体験したことに対する思い入れの強さというのは、どの作家にも共通するものらしい。
特に、20世紀前半という時代には、20世紀後半の日本が失くしてしまったものが、あまりにも多すぎて、それが作家の郷愁を呼び、読者の共感を呼ぶのではないだろうか。
だから、おそらく「自叙伝的な物語」は、20世紀前半(明治後半から終戦直後まで)を描いたものに面白いものが多いのだと思う。
今年2023年は、そんなことに気がついた一年だった。
今年もたくさんの本を買ったけれど、特筆しておくべきものとしては、『小沼丹全集』(未知谷)と『小沼丹作品集』(小沢書店)、『サリンジャー選集』(荒地出版社)あたりだろうか。
来年も、トレンドに流されることなく、質の高い読書ライフを送ることができたらいいな。