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三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」歌志内の革製品ブランドの歴史を辿る

三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」あらすじと感想と考察

三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」読了。

本作「ソメスサドルの挑戦」は、2023年(令和5年)6月に河出書房新社から刊行されたノンフィクション作品である。

著者の三浦暁子は、三浦朱門と曽野綾子の長男・太郎の配偶者。

炭鉱の町で生まれた馬具の生産メーカー

本作「ソメスサドルの挑戦」は、北海道の革製品ブランド<ソメスサドル>の歴史を辿ったノンフィクション作品である。

現会長<染谷昇>の回想を中心に構成されたストーリーで、特に、会社黎明期のエピソードに興味深いものが多い。

一九五一年(昭和二十六年)歌志内で、一人の男の子が生まれた。ソメスサドルの現在の会長・染谷昇だ。染谷昇は四人きょうだいの末っ子として誕生し、家族から可愛がられて育った。(三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」)

本書で言及はないが、歌志内市は、文学的な歴史を有する町である。

芥川賞作家・高橋揆一郎は、歌志内市出身の小説家である。

小学校教員時代の三浦綾子も歌志内に住んだことがあり(神威小学校に勤務)、そのときの体験は、長編小説『銃口』などに反映されている。

古いところでは、国木田独歩の『空知川の岸辺』(1902)にも登場するなど、歌志内市は、空知管内では古くから栄えた町の一つだった。

本書では、染谷昇の少年時代のエピソードを通して、戦後の歌志内市の様子が紹介されている。

歌志内のビバリーヒルズはごく一部の人たちが暮らす場所だった。多くの住民は炭鉱住宅で暮らしていた。長屋形式になっており、横並びの形からハーモニカ長屋と呼ばれたりしていた。(三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」)

ハーモニカ長屋は、炭鉱労働者の住宅で、奥さんたちは年齢にかかわらず互いに「ねぇさん」と呼び合っていたという。

戦前から炭鉱町として栄えてきた歌志内だったが、1963年(昭和38年)、神威炭鉱の閉山が発表され、石炭産業中心からの構造転換が求められていた。

馬と縁の深い炭鉱町の歴史を生かした馬具の生産が呼びかけられ、ソメスサドルの前身となる「オリエントレザー株式会社」が設立されたのは、1964年(昭和39年)のことである。

このとき、歌志内市議会の議長として地域活性化に取り組んでいたのが、染谷昇の父・染谷政志だった。

ソメスサドルは、衰退する石炭産業からの構造転換の中で生まれた、新しい歌志内を象徴する企業だったのだろう。

オリエントレザーからソメスサドルへ

オリエントレザー(現・ソメスサドル)の転機は、いくつもあった。

例えば、北海道庁が主宰する西ドイツの展示会に参加したことも、その一つである。

1977年(昭和52年)、ヨーロッパを旅行した染谷昇は、パリのエルメス本店を訪れている。

エルメス本店を前にして、いっときはひるんだが、その外観が想像していたより堅実なことに好感を持った。職人技を売る店はこうあるべきだ。さすがエルメス。飾りすぎない品の良さがある。(三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」)

エルメスは、馬具の生産から始まった革製品ブランドである。

馬具生産メーカーであるオリエントレザーにとって、エルメスは憧れの企業だった。

「オリエントレザー」が「ソメスサドル」へと社名変更するのは、1985年(昭和60年)のこと。

オリエントレザーは、他社ブランドの製品を製造するOEM中心の会社だった。

「馬具職人が作る革鞄」という自社ブランド製品の生産にあたり、新たなソメスサドルという会社が誕生したのである。

もちろん、オリエントレザーという名称を変えても、馬具屋であることはずっと大事にしていかねばならない。そのために、どこかに馬具の名を入れたい。そこで、馬具づくりの根幹であるサドルという単語を選び、ソメスの語に鞍=サドルをつなぎ、「ソメスサドル=最高の鞍」としよう。(三浦暁子「ソメスサドルの挑戦」)

新ブランド・ソメスサドルは、いくつかの苦境を乗り越えながら順調に成長を遂げ、やがて、北海道を代表する革製品ブランドとなる。

本社機能は、隣接する砂川市へと移転したが、歌志内にある旧社屋は、現在も現役のままだ。

書名:ソメスサドルの挑戦
著者:三浦暁子
発行:2023/06/30
出版社:河出書房新社

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青いバナナ
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