外国文学の世界

「グレート・ギャツビー」翻訳読み比べ~野崎孝から村上春樹まで

「グレート・ギャツビー」翻訳読み比べ~野崎孝から村上春樹まで

村上春樹訳による「最後の大君」(スコット・フィッツジェラルド)が刊行されました。

フィッツジェラルド未完の大作が、村上さんの翻訳によって、とうとう出版されたことになります。

もっとも、この作品は、未完をおぎなうため、著者による粗筋や覚書などが収録されていて、読書のハードルはなかなか高いことは確か。

訳者の村上さんも、朝日新聞の取材に次のようなコメントを寄せているくらいです。

最初にこれを読むとちょっと混乱する(笑い)。僕のおすすめはいくつかの短編を読んで、ギャツビーを読んで、もっと興味を持ったら、これに進んでください。そういう意味では上級者向きの小説ですね。(朝日新聞「村上春樹さん、フィッツジェラルド未完の遺作翻訳」2022/5/13)

そこで、今回は、フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』の、いくつかの翻訳をご紹介したいと思います。

これから『ギャツビー』を読みたいと考えている方の参考になれば幸いです。

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『グレート・ギャツビー』の翻訳について

外国文学というのは、原作の持ち味を損なわないように日本語に訳すことが求められる上、文学作品として一定のレベルを保たなければならないという、大きなハードルがあります。

『グレート・ギャツビー』は、フィッツジェラルドの代表作なので、これまでにいくつもの翻訳が発表されてきました。

歴史的名作も翻訳によって、おもしろかったり、つまらなかったりすることは確か。

そこで、今回は、いくつかの『ギャツビー』の翻訳を、一緒に並べて比べてみたいと思います。

もちろん、文学は好みなので、どの翻訳が良いか、優劣を付けるつもりはありません。

ただ、自分の好みの翻訳を探す上での参考にしていただければと思います。

翻訳の読み比べにあたって

読み比べにあたって、今回は、僕の好きな個所を3か所抜き出して、それぞれ、どんな訳になっているかを比べてみたいと思います。

ひとつは、大富豪・ギャツビーの邸宅を訪れた、元カノ・ディジーが、たくさんのシャツを見て泣き出す場面。

もうひとつは、物語の語り手であるニックが、最後にギャツビーへ言葉をかける場面。

そして、最後は、ニックが、元カノ・ジョーダンと話し合う場面です。

理由は、単純に僕の好きな場面だからで、青春文学『ギャツビー』の持つロマンチックな側面が、どちらもよく現れていると思いますよ。

それでは、早速、読み比べを始めましょう。

華麗なるギャツビー(野崎孝)

僕にとって『ギャツビー』の標準が、野崎孝さんの翻訳によるものです。

理由は、初めて読んだ『ギャツビー』だったから。

野崎孝さんは、『ライ麦畑でつかまえて』(サリンジャー)の訳で超有名な翻訳家ですね。

野崎孝訳『華麗なるギャツビー』新潮文庫野崎孝訳『華麗なるギャツビー』新潮文庫

野崎孝さんは、『ギャツビー』の翻訳を2回出版しているようですが、今回は新潮文庫版(1974/6)から引用してみます。

はじめに、大量のシャツを見てディジーが泣き出す場面。

突然感極まったような声をたてて、ディズィは、ワイシャツの山に顔を埋めると、激しく泣きだした。「なんてきれいなワイシャツなんだろう」しゃくりあげる彼女の声が、ワイシャツの山の中から、こもって聞こえた。「何だか悲しくなっちまう。こんなにこんなにきれいなワイシャツって、見たことないんだもの」

名作の中の名場面ですね。

『ギャツビー』を語る時に、必ずと言っていいほど、登場する場面です。

次に、ニックが失意のギャツビーへ言葉をかける場面。

「あいつらはくだらんやつらですよ」芝生ごしにぼくは叫んだ。「あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」これを言ったことを、ぼくはいつもうれしく思いだす。これが後にも先にもぼくが彼を誉めた唯一の言葉だった。

もうひとつ、ギャツビーが死んだ後に交わされる、ニックとジョーダンの会話。

「あたしはね、あんたのことを正直で率直な人だと思ったんだ。それがあんたの誇りなんだと思ったの」「ぼくは三十ですよ」と、ぼくは言った。「自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五つほど年をとりすぎました」

僕は『ギャツビー』を理解するとき、この部分がポイントになると思っています。

それでは、この翻訳を基準にして、他の翻訳を読んでみましょう。

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グレート・ギャツビー(村上春樹)

現時点で、最も新しい翻訳が、村上春樹によるものです(2006/11)。

村上春樹訳『グレート・ギャツビー』中央公論社村上春樹訳『グレート・ギャツビー』中央公論社

日本で最も多くのフィッツジェラルド作品を訳している翻訳家による『ギャツビー』の訳は、どんな感じでしょうか。

出し抜けに感極まったような声を発して、デイジーは身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃくった。「なんて美しいシャツでしょう」と彼女は涙ながらに言った。その声は厚く重なった布地の中でくぐもっていた。「だって私こんなにも素敵なシャツを、今まで一度も目にしたことがなかった。それでなんだか急に悲しくなってしまったのよ」

次に、ニックがギャツビーに声をかける場面。

「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の縁越しに叫んだ。「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」思い切ってそう言っておいてよかったと、今でも思っている。それはあとにも先にも僕が彼に与えた唯一の讃辞になった。

最後に、ニックとジョーダンの会話の場面。

「私はね、あなたは正直で曲がったところのない人だと見ていた。そしてあなたもそのことを密かに誇りにしていると思っていた」「僕は三十歳になった」と僕は言った。「自分に嘘をついてそれを名誉と考えるには、五歳ばかり年を取りすぎている」

おそらく『ギャツビー』の訳の中で最も正確な訳が、村上さんの翻訳だと思われます。

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夢淡き青春(大貫三郎)

次に、大貫三郎の訳です(角川文庫、1957/02)。

大貫三郎訳『夢淡き青春』角川文庫大貫三郎訳『夢淡き青春』角川文庫

まずはシャツの場面。

いきなりひきつったような音をたてて、デイジーがワイシャツのなかに頭を埋めて、激しく泣き出した。「まあこんなに美しいワイシャツだわ」彼女は啜り泣いたが、声は厚く重ねられた折り目のなかでこもった。「哀しくなるわ。いままでこんなこんな美しいワイシャツって見たことがないんですもの」

次に、ニックがギャツビーへかけた言葉。

「くだらん奴らだ」私は芝生越しに怒鳴った。「みんな十把一からげにいっしょくたにしたのと、立派に釣合うだけの値打ちが、君にはあるんだぞ」そう言ってやってよかった、といつでも思っている。たったいちどだけ言ってやったお世辞だった。

最後に、ニックとジョーダンとの会話。

「あなたってどっちかっていえば、誠実で率直なかただと思ってたわ。それがあなたの秘かな誇りだと思ってたわ」「ぼくだって三十才だもの」と、私は言った。「五つも年とっていれば、自分に嘘も言えないし、それが名誉だなんて言えもしないさ」

華麗なるギャツビー(橋本福夫)

最後に、橋本福夫さんの訳です(ハヤカワ文庫、1974/6)。

橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』ハヤカワ文庫橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』ハヤカワ文庫

新潮文庫版と同じ「1974年6月」の刊行ですが、1974年は、ロバート・レッドフォード主演による映画『華麗なるギャツビー』が公開された年なんですね。

はじめに、シャツの場面。

不意に、感きわまったような声がして、デイジーがワイシャツの中に顔を埋め、ワッと泣きだした。「だって、こんなに美しいワイシャツなのだもの」と彼女は泣き声で言ったが、その声は幾重にも布の中だけにくぐもったように聞えた。「こんなこんな美しいワイシャツは、一度も見たこともなかったのだもの、なんだか悲しくなってくるのよ」

次に、ニックがギャツビーに言った言葉。

「あいつらは腐りきった連中だぞ」わたしは芝生の向こうから大声で言った。「君にはあの連中全部をひとまとめにしたくらいの価値があるのだぞ」わたしはそう言ってやれたことをその後もずっと嬉しく思っている。あれはわたしが彼に言ってやれた唯一のおせじだった。

最後に、ニックとジョーダンの会話。

「あなたはどちらかというと正直で率直な人だと、わたしは思っていたのだもの。それがあなたの心ひそかに抱いている誇りだと思っていたのよ」「僕はもう三十なのだよ」とわたしは言った。「自分を違ったふうに見せかけたりして、それを得意がるには五つ年をとりすぎているよ」

どれも、意味は同じなんですが、特に会話の部分では、それぞれの訳の味わいが出ているみたいですね。

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読み比べてみた感想について

最初に言ったとおり、どの翻訳が良いかの優劣をつけることはできません。

文学には、それぞれ好みがあるからです。

ただ、自分の好みということで言えば、最初に読んだ野崎孝さんの訳を超えるものはありませんでした。

刷込みっていうのは恐ろしいです(笑)

誰かに訊ねられたら、これからも僕は野崎孝訳の『ギャツビー』をお勧めすることになりそうですね。

だけど、村上春樹が好きな人は、普通に村上春樹訳で読んでみればいいと思います。

村上さんの翻訳は正確な分だけ、説明的な感じがしてしまって、文学としての情感に欠けているような気はしますが、、、(あくまで好みの問題です)。

皆さんも、自分の好みの『ギャツビー』を探してみてくださいね。

まとめ

ということで、以上、今回は、フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』の翻訳を、読み比べてみました。

『ギャツビー』はひと夏の物語なので、毎年6月が近づいてくると、無性に読みたくなってしまいます。

長篇ですが、読みやすいので、フィッツジェラルド・デビューにもお勧めですよ。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。