日本文学の世界

永井龍男「石版東京図絵」明治・大正を温かい眼差しで振り返る職人の半生記

永井龍男「石版東京図絵」明治・大正を温かい眼差しで振り返る職人の半生記

永井龍男「石版東京図絵」読了。

本作「石版東京図絵」は、1967年(昭和42年)1月4日から6月1日まで、「毎日新聞」夕刊「現代日本の小説・16作家・書き下ろし名作シリーズ」の第一作として連載された長編小説である。

単行本は、1967年(昭和42年)12月、中央公論社から刊行された。

明治・大正・昭和の東京下町で成長していく職人の半生

本作「石版東京図絵」は、明治・大正・昭和の東京下町で成長していく職人の半生を描いた長編小説である。

時代にすると、1900年代から終戦直後の1940年代までが舞台となっていて、尋常小学校5年生だった少年が、50代半ばを迎えたところで物語は終わる。

半世紀近くに渡る物語だが、全体に濃淡がはっきりしていて、特に力が入っているのは、主人公・由太郎が、まだ少年だった明治から大正にかけての頃だろう。

既に明治時代は、人々の記憶から遠くなっていたはずで、著者も多くの参考文献を引用しながら、明治時代の東京風俗の再現を試みている。

とりわけ、川上澄夫の『明治少年懐古』は、著者の愛読書だった。

もうずいぶん長い間、「明治少年懐古」という本を私は机辺から離したことがない。気がふさいだり、仕事がうまく運ばないような時、必ずといってもよいほど、この本を広げている。(永井龍男『石版東京図絵』)

職人の暮らしについても、長谷川如是閑『日本さまざま』、竹田米吉『職人』、櫛原周一郎『ある生涯』、斎藤隆介『職人衆昔ばなし』、鈴志野勤『細工師』など、多くの文献が登場しており、明治・大正の職人の生き様を克明に描こうとした著者の執念を感じる。

貧しい大工の家庭で育った由太郎が、親友の順造とともに過す少年時代は、病気の父を支えるため、尋常小学校を退学して印刷所の使い走りとなる順造を中心に描かれている。

順造は毎晩、工場からそういう町々を抜けて帰ってきた。そして、去年のいま頃、つくづく感じたことを、その通り今年もまた感じた。それは、「よその人って、どうしてみんな、こんなに金持なんだろう」と、いうことであった。(永井龍男『石版東京図絵』)

尋常小学校を卒業した由太郎が、大工の修行に入る頃からは、本格的に職人物語となり、棟梁の養女との婚約や破談を中心として、由太郎の人生は波乱万丈である。

関東大震災と東京大空襲の時代を生き抜く

この時代を生きた人たちにとって忘れることのできない大事件が、1923年(大正12年)の関東大震災と、1945年(昭和20年)の東京大空襲である。

由太郎は、1913年(大正2年)の神田大火でも実家を焼いているから、随分と災害の多い時代をくぐり抜けてきたことになる。

その間には、日露戦争の兵役もあり、戦後の「激動の時代」とは比べ物にならない、文字どおりの「激動の時代」を、当時の人々はやり過ごしてきたということだろう。

もっとも、著者は、そうした日本の近現代史を国家的な目線から語るのではなく、一人の職人の成長と、じっくりと向き合いながら綴っている。

時代の流れに振り回されながらも、自分の人生を生きた男たちの記録。

著者に、この作品を書かせたものは、著者自身の人生の中に根づく郷愁のようなものであっただろうか。

本作は、歴史を冷静に客観視することなく、自分の生きた時代を温かい眼差しで振り返る、職人の回顧録だ。

それにしても、大正時代に修業を積んだ職人は、令和の現在では、ほとんど残り少ないだろう。

にもかかわらず、本作「石版東京図絵」は、現代の読者に対してさえも、懐かしい何かを感じさせる。

もしかして、それは、現代日本人の遺伝子の中に組み込まれたDNAのようなものなのかもしれない。

作品名:石版東京図絵
書名:永井龍男全集 第八巻
著者:永井龍男
発行:1981/11/20
出版社:講談社

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。