日本文学の世界

谷崎終平「懐かしき人々」谷崎潤一郎や谷崎精二、佐藤春夫のことなど

谷崎終平「懐かしき人々─兄潤一郎とその周辺」読了。

本作「懐かしき人々─兄潤一郎とその周辺」は、作家・谷崎潤一郎の末弟による回想録である。

谷崎潤一郎と谷崎精二の絶交

谷崎潤一郎には、二人の弟があった。

早稲田大学教授で、エドガー・アラン・ポーの翻訳家としても知られる精二と、本作の著者である終平である。

自分は、谷崎精二の随筆がすきなので、本作も、精二のエピソードを読むつもりで買った。

もちろん、実際に話の中心となっているのは、長兄で文豪の潤一郎である。

それにしても、長兄・潤一郎と次兄・精二とは、本当に仲が悪かったらしい。

二人の絶交は、谷崎精二『明治の日本橋・潤一郎の手紙』にも詳しいが、末弟・終平には、精二よりも潤一郎に可愛がられていた気持ちが強かったようである。

二人の兄の性格の相違は真反対と云えるのだ。長兄がお金を出してくれる時は、黙ってズバリと出してくれるが、次兄は冗談にしろ、「ああ損をした、終平に××円とられて、貧乏になってしまった」とか、なんとか言わずには置かないので、有難味が薄れる。(谷崎終平「懐かしき人々」)

谷崎家では、両親が早くに亡くなっているので、長兄・潤一郎と次兄・精二が、末弟・終平の生活の面倒を見ていた。

精二の家庭に居候していた終平としては、大学教師で真面目な性格の精二は、小言の多い、うるさい兄だったのだろう。

その精二の家庭では、夫婦仲がよろしくなかった。

兄は結婚してみて失望したようだ。しかも速記も出来、タイピストであった、この蒼白という程色白で、そばかすのある、ちょっと日本人離れの面立ちだった嫂を叱ったのは、天理教の信者だという事なのだ。(谷崎終平「懐かしき人々」)

大学教師というのは合理的な考えをするから、宗教などというものが受け入れられなかったのだろう。

この嫂は、近所の往来で倒れて、そのまま亡くなってしまったという。

私も社会人になっていた三十二歳の時、近所の往来で倒れて、その儘になった不仕合せな嫂は唯一人狭い母屋の一室に寝かされていた。(略)次兄は下宿人の如く離れに一人で寝起きしていたが、お通夜の晩も仏のいない離れの部屋で文学部長の吉江喬松氏と碁を囲んでいた。(谷崎終平「懐かしき人々」)

次兄・精二に対する終平の思い出は、あまり芳しいものではない。

井伏鱒二は、谷崎兄弟を評して「精二が一番変っていて、次にまともなのが潤一郎で、終平がいちばんまともだ」と言ったとか。

精二の死に際を見舞った際にも、この兄弟は一言も会話をしなかったらしい。

佐藤春夫に嫁を譲った谷崎潤一郎

谷崎潤一郎の家庭には、早くから佐藤春夫が出入りしていた。

「何か嫂を奪われるような、家庭の闖入者である様な予感がして、忌み怖れる面も私は無意識ながら抱いていたようだ」と、著者は回想している。

この頃、潤一郎には、同居する妻の妹と不倫の噂があった。

その嫂が、北原(白秋)夫人から、兄とおせいちゃんの間柄を告口されて怒った。「冗談じゃない、おせいは私の妹ですよ!」と、「でも、他人の噂も存外当る事もある」と夫人は言ったが、承知せず、夫人を謝らせたという。(谷崎終平「懐かしき人々」)

ちなみに、千代夫人の妹<おせい>は、谷崎潤一郎『痴人の愛』に登場する小悪魔的モダンガール<ナオミ>のモデルになったと言われている女性である。

千代夫人に、事実をはっきりと告げたのは、潤一郎の親友・佐藤春夫だった。

谷崎潤一郎から事実を打ち明けられていた佐藤春夫としては、千代夫人から問い詰められた際に隠しきることができなかったらしい。

佐藤氏は嫂を気の毒に思って同情したことから、いわゆるピティーズ・アキン・ツウ・ラヴになったらしい。これは漱石の『三四郎』に出て来る有名な言葉で云えば”可哀そうとは惚れたって事よ”という意味になるが、それ程強い意味でなくも、もっと軽く”同情は恋の始まり”とも云えそうだ。(谷崎終平「懐かしき人々」)

このとき、谷崎潤一郎は、佐藤春夫に、妻・千代を譲ることを約束するが、後に前言撤回する形になって、二人は絶交してしまう(いわゆる「小田原事件」1915年)。

おせいと再婚するつもりで、千代夫人を佐藤春夫に譲り渡す決心をした潤一郎だったが、そのおせいにフラれてしまったので、千代夫人との離婚を取りやめにしたものらしい。

結局、千代夫人が潤一郎と離婚して、佐藤春夫と再婚するのは、それから十五年後のことだった(1930年)。

これが、俗に「妻君譲渡事件」と呼ばれているスキャンダルである。

谷崎潤一郎としては、千代夫人を幸せにしてくれる相手として、やはり佐藤春夫以外にはないと考えた末のことだったのだろう。

本書は、谷崎潤一郎と千代夫人の夫婦関係、そして、潤一郎夫妻と佐藤春夫との三角関係を、身近で見てきた末弟による谷崎家の物語である。

なんだかんだ一番面白かったのは、谷崎潤一郎と佐藤春夫との友情譚だった。

書名:懐かしき人々─兄潤一郎とその周辺
著者:谷崎終平
発行:1989/8/15
出版社:文藝春秋

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