和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資「今日も映画日和」読了。
映画に詳しくない人が読んで楽しい映画の本。
三人の映画マニアによる対談の記録だが、三人とも映画に関する知識が半端ではないので、話の広がり方が凄い。
ひとつの映画について掘り下げるのではなくて、互いに次々といろいろな映画の話を進めていくから、映画の話から映画の話へと飛び火していくようなスピード感がある。
知識を深めるのではなく、教養を広げてくれる本だ。
帯には「SF超大作から青春映画、西部劇に法定ものまで、語った映画実に1200本」とある。
全部で12章あるから各章あたり100本の映画が登場していることになり、とてもひとつの映画について詳しく紹介なんかしている暇がない。
もっとも、スピード感ある対談を補足するように、各ページの欄外には、対談に登場する映画の簡単なデータが付いているから、気になる映画をチェックすることができて便利。
映画に詳しい人は、共感したり反論したりしながら読むことができるだろうし、映画に詳しくない人は、この本を読むだけで観たいと思える映画が見つかりそうだ。
むしろ、映画に詳しくない人に、映画の世界への入口として充実したガイドになってくれるような気がする。
夏の終わりのボーイズ・ライフ
全12章には、それぞれ「悪妻は良妻を駆逐する」とか「クリスマスが待ち遠しい!」「野球場が呼んでいる」「法廷から正義が消えた」などの興味深いタイトルが付いていて、このテーマのもと、果てしなき映画の話が繰り広げられていく。
とりわけ楽しかったのは「夏の終わりのボーイズ・ライフ」で、こんなテーマを思いつくあたり、三人とも少年の心を失っていないのだなあと納得。
この対談は、文藝春秋の「カピタン」という雑誌に連載されたものなので、おそらく夏休みの季節に合わせて掲載されたものだろうけれど、「恋愛もの」ではなく「少年」に焦点を当てているところが、この対談の本質を表しているような気がする。
三人は「何をもって『少年』とするか」という「少年」の定義を論じているが、川本さんの「愛情に目覚めたらもう少年ではなくなる」「愛情よりも男の子同士の友情を優先してるのが少年だと思う」は、とても印象に残る言葉だった。
その意味で典型的なボーイズ・ライフを描いたのが『スタンド・バイ・ミー』で、「恋愛なんてフランスの男に任せとけばいい」といったニュアンスの話題が登場していたところなんかが、アメリカ映画の良さだと、川本さんは指摘している。
映画の話題は文学の話題へ
川本さんも瀬戸川さんも、そもそも書評家として活躍している人たちなので、映画の話題は文学の話題へと広がりやすい。
映画イコール不良という風潮があった時代、大江健三郎の「セヴンティーン」に「新東宝」というあだ名の少年が出てくるとか、『素晴らしき哉、人生!』でプロットの下敷きになっているのが、ディケンズの「クリスマス・カロル」だとか。
一方で、大きな話題作となった『失楽園』(渡辺淳一原作)を和田さんも川本さんも観ていなくて、唯一人観ていた瀬戸川さんが恥ずかしくなってしまうところなどは、単純に読み物として面白い場面だ。
川本さんも瀬戸川さんも「007」シリーズを「ダブル・オー・セブン」ではなく「ゼロゼロナナ」と呼んでいるが、これは第一作がもともと『007(ゼロゼロナナ)は殺しの番号』という邦題だったからで、瀬戸川さんは「『ドクター・ノオ』なんてあとからつけた勝手な題だ」と笑っている。
ちなみに『ロシアより愛をこめて』は『007(ゼロゼロナナ)危機一発』だった。
映画の話題は文学だけではなく、歴史や文化や時代の流れなど、幅広い世界への大きな入り口となってくれる。
この本の魅力は、そういう映画の懐の深さというものを教えてくれることにあるのかもしれない。
書名:今日も映画日和
著者:和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資
発行:2002/9/10
出版社:文春文庫