日本文学の世界

島木健作「島木健作全集(日記)」文学への情熱と鎌倉文士との交流

島木健作「島木健作全集(日記)」あらすじと感想と考察

島木健作「島木健作全集(日記)」読了。

本作「島木健作全集(日記)」は、図書刊行会『島木健作全集(第十五巻)』の日記篇に収録された作品である。

文学に対する情熱

全集所収の日記には「世田谷日記(昭和11年3月)」「伊豆日記(昭和13年12月)」「昭和十八年日記」「扇谷日記」「昭和二十年日記」があるが、やはり戦時中の日記には非常時らしい重みがある。

全体に、戦局の記録、文壇の交流、読書感想などによって構成されていて、特に興味深いのは、文学に対する著者の情熱が感じられる部分だろう。

例えば、「扇谷日記」の九月二十八日に、亀井勝一郎の新著「日本人の死」を読んだ感想が綴られている。

しかし亀井君はいい。彼の書くものは、どんな断片も目にとまれば必ず読むようにして来たが、いつも同感を禁じえない。自分と同時代でそういう人は彼くらいのものであり、彼が元気でいることは喜ばしいことである。(島木健作「扇谷日記」)

「同時代にその人があるというだけで、喜びと勇気とを感じさせるというような人物はなんと得難きことぞ」と、著者は続けているから、余程感銘を受けたらしい。

一方で、文学者に対する批判的な意見も多い。

特にひどく攻撃されているのが、自然主義の田山花袋で、「源義朝」について「読んで全く失望した」「全然打たれるところがなかった」「花袋が自然主義作家でもなんでもなく、実に生ぬるい、のんびりしたロマンチストであること、最後までそうであったことを痛感せざるをえなかった」などと批判している。

藤村などと比べることはできない。白鳥の花袋論などは好意に満ちすぎたものだ。義朝の出版記念会に、「僕が文壇的に衰えたために、諸君が同情して、この会を開いてくれた」と言ったそうだが、こういうことをいう善良さが、作家として大をなし得なかった原因だろう。(島木健作「昭和二十年日記」)

日記とはいえ、かなり手厳しい批評である。

文学的に、島木健作は私小説を重視していた。

しかも、我々小説家が、また一般の読者が、繰返し読み、折にふれてよみ、ほんとうに文学をたのしんでいる、つまり「味」わっているものは、私小説であることは事実ではないか。私小説のあの「味」の魅力に、文学が好きになればなるほどひかれてゆく。(島木健作「昭和二十年日記」)

日記のどの部分を読んでも、文学に対する熱感が伝わってくる。

現代の読者が読んでも、十分に通用する内容だと思った。

鎌倉文士との交流や東京大空襲のこと

文士仲間たちとの交流も興味深い。

頻繁に登場するのは小林秀雄を始めとする鎌倉文士たちだろう。

夕方ペンクラブがはじめるという貸本屋の店へ行ってみた。八幡通りのもとのおもちゃ屋である。高見君夫妻、小島、永井、横山隆一、氏等がいた。本は非常にたくさん集まっていて、この分なら急いで出す必要もないように思われた。(島木健作「昭和二十年日記」)

この貸本屋は「鎌倉文庫」として有名なやつだ。

東京の文壇を心配する記述も散見される。

川端康成を訪ねて小説集の題簽を依頼したときには、幸田露伴の話題が出ている。

露伴先生などはどうしておるだろうという話が出た。尚病臥中にて、口述筆記を二つつづけ、また小説も一つ書きたいと言っているそうである。菊池寛氏が時々食物など贈っているそうである。誰か安全な場所に、先生も書物も移そうという人はないものか。(島木健作「昭和二十年日記」)

自身が不自由な生活を強いられている中、老文士の心配をしているところがいい。

三月十五日には「永井荷風が焼け出されたとのことである」とあり、本土空襲は、日本の文壇にも大きな影響を与えつつあった。

三月十日の東京大空襲では、本郷にいる異父兄の古本屋が全焼しており、いずれ鎌倉もやられるものと、鎌倉文士たちは覚悟していたらしい。

戦時中の暮らしを知る上で、戦中日記は、実に貴重な資料だと思う。

小説家の日記には、その上、文学史的な価値がある。

島木健作も、日記篇だけでも文庫化して、もっと多くの人に読んでもらうべきではないだろうか。

書名:島木健作全集(第十五巻)
著者:島木健作
発行:1984/09/20
出版社:図書刊行会

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。