村上春樹の世界

西東三鬼「神戸・続神戸・俳愚伝」戦時社会のはみ出し者たちを描く

終戦記念日が近いということで、西東三鬼の「神戸・続神戸・俳愚伝」を読みました。

直接的に戦争を描いたものではありませんが、太平洋戦争中の日常生活を描いた人間ドラマで、戦争中にも市民にはいろいろな物語があったことを教えてくれます。

小林恭二さんの「『神戸』は村上春樹の初期作品の魁となるべき小説である」という解説を読み終えてから、本作に入るのがお勧め。

書名:「神戸・続神戸・俳愚伝」
著者:西東三鬼
発行:2000/5/10
出版社:講談社文芸文庫

作品紹介

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「神戸・続神戸・俳愚伝」は、俳人・西東三鬼が書いた3つの作品を収録しています。

『神戸』は俳句雑誌『俳句』(角川書店)昭和29年9月号から昭和31年6月号にかけて連載された小説で、続編となる『続神戸』は、俳句同人誌『天狼』昭和34年8月号から12月号にかけて連載されました。

また、『俳愚伝』は、『俳句』昭和34年4月号から昭和35年3月号にかけて連載されています。

なお、単行本は、1975年(昭和50年)に出帆社から刊行されています。

【神戸】/奇妙なエジプト人の話/波子という女/勇敢なる水兵と台湾人/黒パンと死/月下氷人/ドイツ・シェパード/自動車旅行/トリメの紳士/鱧の湯びき/猫きちがいのコキュ///【続神戸】/マダムのこと/三人の娘さん達/再び俳句へ/サイレンを鳴らす話/流々転々///【俳愚伝】/わが投句時代/「新俳話会」結成の前後/わが俳句開眼/無季俳句の時代/「天香」の創刊まで/俳句弾圧はじまる/新興俳句は死刑か/真夏の夜の悪夢/弾圧家族/連盟分裂す///(解説)『神戸の頃の三鬼』小林恭二

なれそめ

僕は西東三鬼という俳人が好きです。

三鬼の俳句を初めて知ったのは、おそらく何かの歳時記の中でだと思います。

僕は夏の俳句を読むのが特に好きなのですが、夏の季語の例句の中には「おそるべき君等の乳房夏来る」「算術の少年しのび泣けり夏」 などといった西東三鬼の作品が、たくさん含まれていました。

俳句って、もっと「侘び・寂び」の世界のものだと思っていたけれど、こんなにモダンでドラマチックな表現も許されるんだと、三鬼の作品を読んだときに思ったものです。

その後、僕は西東三鬼の作品をたくさん読むようになり、それをきっかけとして、俳句の世界の歴史のことも知りたいと思うようにもなりました。

『神戸・続神戸・俳愚伝』は、俳人・西東三鬼を深く知るために必読の自伝的短編小説集だと思います。

あらすじ

“東京の何もかも”から脱出した“私”は、神戸のトーアロードにある朱色のハキダメホテルの住人となった。

第二次世界大戦下の激動の時代に、神戸に実在した雑多な人種が集まる“国際ホテル”と、山手の異人館「三鬼館」での何とも不思議なペーソス溢れる人間模様を描く「神戸」「続神戸」。

自ら身を投じた昭和俳句の動静を綴る「俳愚伝」。

コスモポリタン三鬼のダンディズムと詩情漂う自伝的作品三篇。

(背表紙の紹介文より)

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

彼女は仰向けてあったが、幼い弟を右手に抱きしめていた。

私はまだ燃え盛る街の、路上に垂れた電線を飛び越え飛び越え、彼女の家へ走った。彼女の路地の前の空地は、スリバチ形の防火池になっていた。その池のコンクリートの縁に、隙間もなく溺死体が並べてあった。(神戸「自動車旅行」)

神戸空襲の夜、三鬼は、自分がかつて暮らしていたホテルの住人たちの安否を求めてさまよいます。

「そこまで来る路上で、すでに私は多くの焼死体を見たのだが、少しも焼けたところのない、溺死体の姿は、周囲がまだ燃え盛っているだけに、むごたらしくて正視できなかったが、もしやと思って池の縁を廻っているうちに、見覚えのある夏服を着た、溺死体を発見した」。

「彼女は仰向けてあったが、幼い弟を右手に抱きしめていた。左手には私の同棲者波子のお古の、ハンドバッグがからみついていた」。

戦時中の神戸で行き場のない有象無象の謎の人間たちが集まった奇妙なホテルで、三鬼は多くの出会いと別れを体験しました。

私はうで卵を食うために、初めて口を開く。

私は路傍の石に腰かけ、うで卵を取り出し、ゆっくりと皮をむく。不意にツルリとなめらかな肌が現れる。白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角、暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために、初めて口を開く。「広島や卵食う時口開く」という句が頭の中に現れる。(続神戸「サイレンを鳴らす話」)

仕事の途中に立ち寄った広島市で、三鬼は遅い食事を取ります。

「荒れはてた広島の駅から、一人夜の街の方に出た」三鬼は、真っ暗な路上に腰をかけて、ゆで卵を食べます。

「去年の夏、この腰かけている石は火になった。信じ難い程の大量殺人があった。生き残った人々は列をなして、ぞろりぞろり、ぞろりぞろり、腕から皮膚をぶら下げて歩いた。その引きずった足音が、今も向うから近づく。ぞろりぞろり、ぞろりぞろりと」。

そうしてできた作品が、歴史的な名作とも呼ばれることになる問題作品「広島や卵食う時口開く」でした。

私は骨の髄まで自由主義者で、肉体的にカーキ色を嫌悪していた。

その句会に、ある時、私は「煙草捨て唾吐き暑き砲手となる」という句を提出した。私は骨の髄まで自由主義者で、肉体的にカーキ色を嫌悪していた。(俳愚伝「わが俳句開眼」)

『俳愚伝』は『神戸』や『続神戸』のような人間ドラマとは違って、戦前から戦後にかけての俳壇で起こった事件を綴ったもので、特に、自由を重んじる三鬼の姿勢は、戦時中の日本において重大な事件を引き起こすことになります。

表題の作品は、本物の砲手であった細谷源二から「こんなたるんだ砲手は日本の兵隊にはいない」と激しく糾弾されますが、「スペインの兵隊ならいいか」と訊き返した三鬼に、源二も「それならかまわない」と真面目に答えたそうです。

日野草城の「ミヤコホテル」論争が生じるなど、自由な表現が許されるはずの俳句界においてさえ、戦争は「表現の自由」に大きく暗い影を落とし始めていたのです。

読書感想こらむ

西東三鬼の『神戸』『続神戸』を読む前に、僕は小林恭二の解説を読みました。

そこには「『神戸』は色川武大の『怪しい来客簿』や村上春樹の初期作品の魁となるべき小説である」という文章がありました。

「当時の神戸でしか生きられなかった、戦時社会のはみ出し者たち」が場末のホテルを舞台に集まり、「彼らのほとんどは悲劇的最期」を遂げます。

そして、「日本帝国により自己の文業をすべて否定された揚句、職業を棄て、家族を棄て、神戸に流れて」きていた「作者である三鬼がここに登場する誰よりも苛烈な運命の中を生きていた」ことで、物語は新しい形の日本文学を呈することになったのです。

1950年代に描かれた1940年代の物語ですが、三鬼らしいモダンな視点が、やがて登場してくる村上春樹の『風の歌を聴け』(神戸が舞台だった)へと繋がっていたとしても、全然不思議ではないような気もします。

国際都市・神戸だからこそ成立したドラマが、そこにはあったのかもしれませんね。

まとめ

俳人・西東三鬼が書いた私小説的短編連作集。

三鬼を取り巻く「筋書きのない人間ドラマ」が切なく悲しい。

俳句に賭けた元・歯科医師の物語。

著者紹介

西東三鬼(俳人)

1900年(明治33年)、岡山県生まれ。

1925年(大正14年)、シンガポールで歯科医院を開業するも、1928年(昭和3年)に帰国。

『神戸』連載開始時は54歳だった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。