日本文学の世界

小沼丹「沈丁花」花の匂いは終戦直後の暮らしの匂い

小沼丹「沈丁花」あらすじと感想と考察

小沼丹「沈丁花」読了。

本作「沈丁花」は、1975年(昭和50年)3月『文芸』に発表された短編小説である。

この年、著者は57歳だった。

作品集としては、1975年(昭和50年)10月に河出書房新社から刊行された『藁屋根』に収録されている。

焼け跡の東京で、工員寮を改造した学校に住む

本作「沈丁花」は、終戦直後に学校で働くこととなり、その学校の中で家族三人暮らすこととなった<大寺さん>の物語である。

冒頭「昔、大寺さんは郊外の大きな藁屋根の家に住んでいたことがあるが」とあることから、本作「沈丁花」が、「藁屋根」の続編に位置するものであることが分かる。

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なお、「藁屋根」や「沈丁花」で示される終戦直後の暮らしは、<吉野君>を主人公とする長編小説『更紗の絵』で詳細に描かれている。

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本作「沈丁花」は、学校時代の暮らしを、スケッチ的に綴った作品であり、特別のストーリーというものはない。

最初に、まだ藁屋根の家に住んでいた頃に見かけた「白い窓枠の入った緑色の木造二階建の建物」の話が出てくる。

その近くの水車のある小道が、大寺さんの気に入ったのだ。

大寺さんはその小径が気に入ったから、その后何遍か散歩に行って、その都度水車を見て帰って来た。水車小屋の傍に川岸が一段近くなった洗場のような所があって、大寺さんは一度そこで農家のお内儀さんらしい女が、釜を洗っているのを見たことがある。(小沼丹「沈丁花」)

しかし、戦争が終わって疎開先から帰ってきたとき、辺りの様子はすっかりと変わってしまっていた。

大寺さんは、工場の工員寮を改造した学校の中で、妻子とともに住むことになる。

学校のなかに住んだと云うが、別に教室を住居にした訳では無い。その建物は工員寮だったから、各棟の中央の出入口の傍に、寮長とか舎監とか云う人が住んでいたらしい六畳二間に台所の附いている一画があって、大寺さん一家は真中の建物のその一画を住居にしたのである。(小沼丹「沈丁花」)

終戦時、東京都内は焼け跡で、東京都民は住居を確保することに躍起になっていた。

「当時としては満足すべき住居に入れたと云うことになるかもしれない」という大寺さんの感想が、当時の住宅事情を示していると言えるだろう。

沈丁花の花の匂いは、終戦直後の暮らしの匂い

学校生活時代、大寺さんは<ケネデイ君>というアメリカの青年と仲良しになる。

金髪で眼鏡を掛けた、痩せてのっぽの亜米利加人で、名前はアアサア・ケネデイと云った。このケネデイ君はエイル大学の史学科を出た男で、大寺さんより三つ四つ齢下の二十三、四歳だったと思う。帰国したら国務省に入るのだと云っていたが、その頃は情報部かどこかにいる中尉であった。(小沼丹「沈丁花」)

ケネデイ君と大寺さんはテニス仲間になるが、このケネデイ君のエピソードが、本作「沈丁花」では、一つの大きな軸となっている。

ある日曜日の午後、テニスを終えて、ケネデイ君のジープで送ってもらって帰ってくると、娘の<春子>が熱を出して寝ていると、細君が言った。

春子の病状はかなり重篤で、このときの春子の病気の話が、「沈丁花」におけるもう一つの大きな軸となる。

幸い、新しい薬が外国から入ってきたばかりで、春子はどうにか一命を取り留めるが、大寺さん一家にとって春子の重病は、終戦直後における一つの大きな事件として記憶されることになった。

さて、作品タイトルの沈丁花は、この学校の家のすぐ近くに咲いていたものである。

大寺さんのストオヴのある部屋の窓の外に、沈丁花が三、四株植えてあった。工員寮だった頃誰か植えたものらしいが、それが枯れずに残っていて、蕾を附けたから大寺さんは珍しいものを見る気がする。(小沼丹「沈丁花」)

春子が肺炎になったのも、この沈丁花の花がポツポツ咲き始めた頃だった。

小説として、沈丁花が積極的な役割を果たすことはない。

しかし、沈丁花の花の匂いは、大寺さんにとって、当時の生活を思い出すことのできる、終戦直後の暮らしの匂いだったのではないだろうか。

作品名:沈丁花
著者:小沼丹
書名:藁屋根
発行:2017/12/08
出版社:講談社文芸文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。