日本文学の世界

田山花袋「少女病」若い女性に対する異常な執着心と失われた青春時代

田山花袋「少女病」読了。

「少女病」は、講談社文芸文庫『私小説名作選(上)』(中村光男選)に収録されている短篇小説である。

初出は『太陽』1907年(明治40年)5月号。

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込合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはない

主人公の<杉田古城>は、三十七歳の中年男性である。

新興住宅地の千駄ヶ谷から都心の雑誌社へと通う彼の楽しみは、通勤途上で出会う若い女性たちを、じっくりと観察することであった。

代々木の停留所で時々一緒になる若い女性は、「肉附きの好い、頬の桃色の、輪郭の丸い、それは可愛い娘」で、彼と彼女は、これまでにも何度か、同じ電車に乗ったことがある。

それどころか、彼女を気に入っている彼は、冬の寒い夕暮れに彼女の後をこっそりとつけて、彼女の家を突きとめたことさえあった。

ストーカーである。

もっとも、若い女性の家を突きとめたからといって、彼がそれ以上の行動に出ることはない。

彼は、ただ若い女性の美しい姿を見つめていることさえできればよかったからだ。

そして、彼は通勤電車の中で出会う、すべての若くて美しい女性に強い関心を持ち、執着をしていた。

込合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今迄にも既に幾度となく其の嬉しさを経験した。柔かい衣服が触る。得ならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思をそそる。ことに、女の髪の匂いと謂うものは、一種の烈しい望を男に起させるもので、それが何とも名伏せられぬ愉快をかれに与えるのであった。(田山花袋「少女病」)

もともと、彼は文学者だった。

若い頃には相応に名も出て、二三の作品は随分喝采されたこともある。

彼の作品は、いわゆる少女小説で、一時は青年を魅せしめたものだが、大人の男が少女小説を書いているということで、いつしか、彼は文壇の笑いものとなってしまっていた。

それでも彼は、雑誌の校正の間などの隙間を見つけては、若い女性に憧れるような美文新体詩を、今も書き続けている。

友人たちは「彼は病気だろう」と噂した。

なにしろ、彼は若い女性に憧れて美しいと言うばかりで、何一つ行動に出ることはなかったからだ。

ある者は、若い時分に自慰行為をやりすぎたせいだろうと分析したが、その真相は謎だった。

そうして彼は、来る日も来る日も、満員電車の中で出会う若い女性を観察し続けた。

若い時に、何故烈しい恋を為なかった。何故充分に肉のかおりを嗅がなかった。

若い女性への憧れと同時に描かれているのは、主人公の杉田が持つ、現状の生活への不満である。

三十七歳の彼には、二十五六の妻と二人の子どもがあった。

妻は確かに若かったが、彼が電車の中で出会う女性たちに比べると、既に年を取りすぎていた。

若い女性に出会うたびに、彼は「おれももう少し若ければ、、、」と考える。

そして、自分には妻も子もあるということを思い出しては、「何となく悲しい、何となくなつかしい、なんとなく嬉しい」ような気持ちになるのである。

午後三時過、退出時刻が近くなると、家のことを思う。妻のことを思う。つまらんな、年を老って了ったとつくづく慨嘆する。若い青年時代を下らなく過して、今になって後悔したとて何の役に立つ、本当につまらんなアと繰返す。

若い時に、何故烈しい恋を為なかった。何故充分に肉のかおりを嗅がなかった。今時分思ったとて、何の反響がある。もう三十七だ。こう思うと、気が苛々して、髪の毛を毮り度くなる。(田山花袋「少女病」)

この小説は、若い女性に対する異常なまでの執着心から語られることが多いが、著者のメッセージは、やはり、この部分に込められていると思う。

「若い青年時代を下らなく過して、今になって後悔したとて何の役に立つ」「若い時に、何故烈しい恋を為なかった」「何故充分に肉のかおりを嗅がなかった」、、、

青春の日の後悔は、世の中の若い男性たちに対する警告であり、応援歌だ。

若い時分にちゃんとした恋をしていないと、中年になってから若い女性に執着するようになる。

俺のような男になるな!と、著者は伝えたかったのかもしれない。

それにしても、ここまで自分をさらけ出さなければ小説を書けないとしたら、自然主義作家というのも大変だなあ。

書名:私小説名作選(上)
編者:中村光夫
発行:2012/5/10
出版社:講談社文芸文庫

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。