小沼丹「トルストイとプリン」読了。
本作「トルストイとプリン」は、1986年(昭和61年)2月『海燕』に発表された短篇小説である。
この年、著者は68歳だった。
作品集としては、1986年(昭和61年)9月に講談社から刊行された『埴輪の馬』に収録されている。
小沼文学には紀行随筆がよく似合う
本作「トルストイとプリン」は、1972年(昭和47年)にオーストリアのザンクト・アントンを訪ねたときの思い出を交えた短篇小説である。
当時、小沼さんは、早稲田大学の在学研究員としてロンドンに滞在中で、日本からやってきた吉岡達夫とともに、キュウタイからインスツブルクを経て、チューリッヒへと小旅行をしている。
「トルストイとプリン」の中で<友人>として登場するのは吉岡達夫のことで、「山の中にある町」(1975)という随筆では、吉岡達夫が本名のままで登場している(随筆集『福寿草』所収)。
ちなみに、「山の中にある町」は、ザンクト・アントンへ行く前に訪れたインスツブルクという街での思い出を綴った紀行随筆である。
凱旋門の傍にレストランがあったのを想い出して、そこでビイルを飲んで時間潰しをすることにして歩き出したら、吉岡が売店の前で立停って何か見ている。「──何だい?」「──あのチロリアン・ハット、いいね」「──止せやい、また買う心算か?」(小沼丹「山の中にある町」)
小説とも随筆とも区別の難しい小沼文学には、紀行随筆がよく似合う。
紀行文学は、フィクションとかノンフィクションとか難しいことを考える必要がない。
本作「トルストイとプリン」が小説的技巧を持っているのは、懐かしい旅の記憶に、現在の入院生活が組み合わされているからだ。
実は、ザンクト・アントンで木彫りのマリア像を買った話は、既に「マリア像」(1976)という随筆に書かれている(随筆集『珈琲挽き』所収)。
マリア像を見ると、何だかマリアさんが、買ったら如何ですか? と云っているように思われてふらふらとその像を買った。今考えると何故マリア像なぞ買ったのかよく判らない。これも旅の気紛れと云う奴かもしれない。(小沼丹「マリア像」)
だから、本作「トルストイとプリン」は、随筆「マリア像」を下敷きにした小説作品なのだ。
ちなみに、吉岡達夫とのヨーロッパ旅行は、その他「キュウタイ」「ザンクト・アントン」「湖畔の町」(いずれも『藁屋根』所収)といった作品で描かれているので、これらの作品群を連作として読めるのも楽しい。
思い出と夢の話を組み合わせる
知人が来て、このマリア像を賞賛していって間もなく、物語の語り手は体調を崩して入院してしまう。
糖尿病による心筋梗塞のため、小沼さんが西荻窪病院へ入院するのは、1984年(昭和59年)の年末のことだ。
入院して間も無い頃で、正月の三、四日頃だったと思うが、友人がプディングを持って見舞に来て呉れた。「──これ、プリンです」友人は家の者にそう云って菓子の包を渡したから、茲でもプリンということにする。(小沼丹「トルストイとプリン」)
入院してようやくプリンが登場する。
「この友人とは、昔一緒にヨオロッパ旅行をしたことがある」とあるから、プリンを持って見舞いに来てくれたのは、吉岡達夫だったのだろう。
「また一緒に外国旅行をしようや」と友人は言って、それから二人で昔の旅行の思い出話なんかをして過ごす。
小沼さんの作品には、とにかく昔の思い出のことがよく登場する。
まるで、思い出話を書くために小説とか随筆とかを書いているのではないか、と思われるくらいだ。
その夜、物語の語り手は、トルストイの夢を見る。
二人でプリンを食べている部屋の片隅に、木彫りのマリア像があった。
どうも失礼しました、という心算でお辞儀したら、トルストイも会釈して、卓子の上の白い箱からプリンを一個取出すと、皿に載せて、「──お上り……」と此方へ押して寄越した。有難く頂戴して、食ったらなかなか旨い。(小沼丹「トルストイとプリン」)
思い出と同じように、小沼文学によく登場するのが夢の話だろう。
思い出と夢の話を上手に組み合わせて、小沼さんは、小沼さんにしか書けない小説を書いた。
本作「トルストイとプリン」は、そんな小沼文学の見本のような作品だと思う。
息抜きのつもりでちょっと読み始めたら止められなくなって、小沼さんの古い小説や古い随筆を次から次へと読み続けている。
懐かしい気持ちになることができるような文学作品を読みたい。
そんな週末だったのかもしれない。
作品名:トルストイとプリン
著者:小沼丹
書名:埴輪の馬
発行:1999/03/10
出版社:講談社文芸文庫