日本文学の世界

小沼丹「夕焼空」古い記憶の中の古い友だちを失った喪失感

小沼丹「夕焼空」あらすじと感想と考察

小沼丹「夕焼空」読了。

本作「夕焼空」は、1984年(昭和59年)1月『海燕』に発表された短篇小説である。

この年、著者は66歳だった。

作品集としては、1986年(昭和61年)9月に講談社から刊行された『埴輪の馬』に収録されている。

タイム・スリップのきっかけ

小沼丹はノスタルジーの作家だと思う。

電車に乗って上野の近くを通ったときに見た遠くの赤い夕焼け空から、物語の語り手は古い友人を思い出す。

本作「夕焼空」は、懐かしい日々の記憶の物語である。

遠くの赤く染った空を見ながら、何か想い出せそうで想い出せない中途半端の気分でいたのだが、その二人の話声を聞いたら、不意に、遠い昔に行ったことのある或る病院を想い出した。それが上野の近くにあったことは知っているが、どの辺だったかとなると全然判らない。何故、そんな遠い昔の記憶が甦ったのかしらん?(小沼丹「夕焼空」)

小沼丹の小説では、なにかしらタイム・スリップのきっかけとなるものが登場する。

そして、それが作品タイトルと密接な関わりを持つことが多い。

この作品の場合、「夕焼空」がタイム・マシンのような役割を果たしている。

<吉田>は、まだ学生だった頃の級友で、格別に親しい友人というわけでもなかったが、何度か親しい付き合いをしたことがある。

そんな友人こそ、夕焼空のタイム・スリップで、不意に思い出したりする友人としてはふさわしいのかもしれない。

確かその翌日だったと思う、相手の女に手紙を届けに行った。上野で電車を降りて、そのときは吉田の書いて呉れた地図を見て行ったから、ちゃんと先方に辿り着いたが、いま想い出そうとしてもどの辺になるのかさっぱり判らない。行って見ると、病院は裏通にあって、古ぼけた汚い二階建の建物だから意外な気がした。(小沼丹「夕焼空」)

物語の語り手は、吉田に頼まれて、上野近くの病院へ入院している若い女性に手紙を届けに行く。

小沼さんが大学生の頃のことだから、太平洋戦争が始まるかどうかという時代だったのではないだろうか。

汚い二階建ての病院に寝ている女の記憶は、古い友人・吉田の記憶とともに甦ってくる。

結局、女についての詳しい説明を聞くこともなく、物語の語り手は、吉田と疎遠になってしまった。

心の中の小さな隙間を埋める

やがて、吉田が死んだという噂を聞いて、物語の語り手は懐かしい友人の夢を見る。

或る夜、草臥れたから酒でも飲んで寝ようと思って、ウイスキイを飲んでいると、いつ来たのか気附かなかったが隣に吉田が坐っていたから吃驚した。而も吉田の方から、久し振りだから乾杯しようや、と云うからグラスを合せて、それから、「──はてな……」と思った。念のため、「──お前は死んだ筈じゃなかったのかい?」と訊いてみると、「──うん、そうなっているが、まあ、気にするな」吉田がそう云うから、それもそうだと思って気にしないことにして暫く昔話をした。(小沼丹「夕焼空」)

短い物語のクライマックスは、死んだ友人と酒を酌み交わす夢の場面である。

夢の中で吉田は、あのときの女の話をしようとする。

突然、「──あの女はね……」と云い出した。どの女かと訊くと、上野の病院にいた女だと云うから、漸く何さんに就いて詳しい話が聞けると思う。「──あの女はね……」「──うん」「──あの女はね……」空回りするレコオドのように、あの女はね……、ばかりで一向に先に進まないから焦れったい。(小沼丹「夕焼空」)

あるいは、吉田の奴、酔い過ぎたかもしれないと思って「おい、しっかりしろ」と声をかけると、いつの間にか吉田がいない。

もちろん、死んだ人間が最初からいるはずもないのだが、ここに、物語の語り手の喪失感がある。

一体、同じ記憶を共有している人間の死というのは、生き残った人間にとって、常に大きな喪失感を与えるものなのではないだろうか。

「一体、いつ帰ったのかしらん?」と言って、語り手は物語を締めくくるが、もちろん、彼が「帰ったのではない」ことは、語り手自身が誰よりも理解をしている。

古い友人を失ったことで生まれた、心の中の小さな隙間。

そんな隙間を埋めるような作品を、小沼さんは書き続けていたのかもしれない。

考えてみると、本作「夕焼空」が発表された1984年(昭和59年)、日本はバブル前夜とも言える時代にあった。

小説界では、赤川次郎が人気を博していたし、村上春樹も『羊をめぐる冒険』で、次のステージへと進みつつあった。

その村上春樹の書いた『1Q84』の舞台が、まさしくこの1984年である(ちなみに『ねじまき鳥クロニクル』も同時代を描いている)。

そのような時代に小沼さんは、戦前に交流のあった古い友人の古い記憶について、小さな物語を書き続けていたのだ。

全然トレンディじゃなかったけれど、時代を超えた物語を綴る小沼さんにとって、トレンドなんて全然関係なかったんだろうな。

そんな文学作品を、自分も読み続けていきたいと思う。

作品名:夕焼空
著者:小沼丹
書名:埴輪の馬
発行:1999/03/10
出版社:講談社文芸文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。