日本文学の世界

有島武郎「生れ出づる悩み」夢に向かって生きる若者へのメッセージ

有島武郎「生れ出づる悩み」あらすじと感想と考察

有島武郎「生れ出づる悩み」読了。

本作「生れ出づる悩み」は、1918年(大正7年)3月から4月まで『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』に連載された長篇小説である。

この年、著者は40歳だった。

なお、新聞連載は、作者病気のために中絶しているが、1918年(大正7年)8月に完成の上、叢文閣から刊行された有島武郎著作集第六集『生れ出づる悩み』に収録された。

「生れ出づる悩み」は、有島武郎自身の悩みだった

この秋は、明治・大正の名作文学を読み直している。

普段は、昭和文学、特に戦後のものばかり読んでいるので、久しぶりに明治文学・大正文学に触れると、新しい発見があって楽しい。

その中で、本作「生れ出づる悩み」は、最近読んだ文学作品の中で傑出して素晴らしい作品だと思った。

さすがは、有島武郎だ。

物語の終盤で、小説家である<僕>は、<木本君>という画家志望の貧乏漁夫が、生活と芸術との狭間で苦しんだ挙句、いよいよ自殺しようとする場面を思い描いている(もちろん、空想として)。

それは今日に始まった事ではない。ともすれば君の油断を見すまして、泥沼の中からぬるりと頭を出す水の精のように、その企図は心の底から現われ出るのだ。君はそれを極端に恐れもし、憎みもし、卑しみもした。男と生まれながら、そんな誘惑を感ずる事さえやくざな事だと思った。しかし一旦その企図が頭を擡げたが最後、君は魅入られた者のように、藻掻き苦しみながらもじりじりとそれを成就するためには、凡てを犠牲にしても悔いないような心になって行くのだ。その恐ろしい企図とは自殺する事なのだ。(有島武郎「生れ出づる悩み」)

この部分を読んだとき、ああ、この小説は有島武郎自身のことを描いた小説なのだ、<僕>が呼びかける<君>とは、画家志望の<木本君>であり、小説家である有島武郎自身のことなのだと理解できた。

つまり、この『生れ出づる悩み』という長篇小説自体、有島武郎という作家の芸術的な(あるいは生活的な)苦しみを描いた物語ということである。

もちろん、小説家の苦しみを、そのまま小説に書いたって、おもしろくも何ともない。

有島武郎は、画家を目指しつつ貧乏漁夫として生活している<木本君>に、作家自身の姿を重ね合わせてみせた。

最後に<僕>は、「産みの苦しみ」を味わっている全ての若者たちに向けて、励ましのメッセージを綴っている。

君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし‥‥僕はただそう心から祈る。(有島武郎「生れ出づる悩み」)

まるで自分自身へ言い聞かせるかのように、<僕>の叫びは生々しく、そして、痛々しい。

しかし、このような小説を書かせるほどに、<木本君>の画家を目指す情熱は、<僕>の心を惹きつけたのだろう。

生死を賭けるが如き<木本君>の情熱がなければ、この小説は決して生まれ出て来なかったに違いない。

夢を生きるか、現実を生きるか、という人生の選択

有島武郎の文章は美しい。

最近読んだ小説家の中では、最も素晴らしい文章を書く作家だと思う。

その上、本作「生れ出づる悩み」は、小説としての構成にも、十分に工夫が凝らされている。

妄想上の<君>を主人公に据えた貧乏漁夫の生活は、想像とは思えないくらいにリアルで、読む者の胸を打つ。

そして、そんな貧乏漁夫の心に潜む芸術への野心は、やはり芸術を志す有島武郎でなければすくい上げることの難しかったものだろう。

「俺れはこんな自分が恨めしい。そして恐ろしい。みんなはあれほど心から満足して今日今日を暮らしているのに、俺れだけはまるで陰謀でも企んでいるように始終暗い心をしていなければならないのだ。どうすればこの苦しさこの淋しさから救われるのだろう」(有島武郎「生れ出づる悩み」)

絵を描くことが、まるで罪悪であるかのように、<木本君>の心は葛藤に苦しめられている。

夢を生きるか、現実を生きるか──

痛々しいほどの苦悩を描いているのは、<木本君>という貧乏漁夫に乗り移った<僕>、つまりは有島武郎という著者の魂だ。

「あの少年はどうなったろう。道を踏み迷わないでいてくれ。自分を誇大して取り返しのつかない死出の旅をしないでいてくれ。もし彼れに独自の道を切り開いて行く天稟がないのなら、万望(どうか)正直な勤勉な凡人として一生を終わってくれ。もうこの苦しみは俺れ一人だけで沢山だ」(有島武郎「生れ出づる悩み」)

物語の冒頭で、<木本君>の身の上に思い悩んだ<僕>は、自分自身の苦悩をさらけ出してみせる。

もうこの苦しみは俺れ一人だけで沢山だ、と。

もしも、人生に挫けそうになったなら、そんなときこそ、この小説を読んでみてはいかがだろうか。

答えは見つからないかもしれない。

だけど、夢に向かって生きていこうとする上で、必要な勇気なら見つかるかもしれない。

なぜなら、それが、この「生れ出づる悩み」という小説の、最も大きなテーマだからだ。

自分を元気づけてくれる勇気くらいなら見つかるかもしれない。

その勇気が得られれば、自ら出せる答えもまた変わってくるかもしれないよね。

書名:生れ出づる悩み
著者:有島武郎
発行:2009/06/30
出版社:集英社文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。