庄野潤三「ふたりのおじいさん」読了。
本作「ふたりのおじいさん」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第十回目の作品であり、「群像」1989年(平成元年)5月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
昭和五十三年に七十七歳で亡くなった十和田さんは、私の敬愛する作家であった。
題名の「ふたりのおじいさん」は、十和田操『トルストイ童話』(1959、東光出版社)に収録されている物語である。
自分よりも21歳も年上であった、この作家と、庄野さんは懇意にしていた。
昭和五十三年に七十七歳で亡くなった十和田さんは、私の敬愛する作家であった。「判任官の子」や「戸の前で」などのすぐれた作品を書いた。私はアメリカ中部の小さな大学町ガンビアにいた頃、十和田さんからいいお手紙を何度か頂いた。日本へ帰ってから、お弁当持ちで十和田さんと埼玉県の武蔵嵐山へピクニックに出かけたことがあった。十和田さんは話好きで、話の上手な方であった。(庄野潤三「ふたりのおじいさん」)
今回紹介する『トルストイ童話』も、扉の裏の頁に十和田さんの署名入りで贈ってもらったものだ。
『トルストイ童話』の中から、庄野さんは「ふたりのおじいさん」という物語を選んで紹介している。
前回の「蛇使い」に続いて、今回も物語の中に少年や少女は登場しない。
どうやら、前回の『志那文学選』(新日本少年少女文庫)から、昔の少年少女向けの作品を素材としているらしい。
編者はいずれも庄野さんが敬愛する作家(佐藤春夫と十和田操)だった。
すると、フーちゃんが、「かんがえる。かんがえる」といった。何のことだか、分らない。
本作「ふたりのおじいさん」では、十和田操のほかに、もうひとつ、話のポイントがある。
それは、孫娘フーちゃんの大好きな「クマのプーさん」である。
フーちゃんが小田原の帰りに家へ寄った日のことだ。図書室で縫いぐるみの人形の「クマさん」や「ウサギさん」を九度山の柿の箱の「バス」に乗せて押して遊んでいたら、ミサヲちゃんが次男が「クマのプーさん」のディズニイの三十分のヴィデオを買って来たことを話した。すると、フーちゃんが、「かんがえる。かんがえる」といった。何のことだか、分らない。(庄野潤三「ふたりのおじいさん」)
ミサヲちゃんの話によると、「かんがえる、かんがえる」というのは、プーさんが何かを考えるときの独り言らしい。
このとき、フーちゃんが買ってもらったビデオは「プーさんの大あらし」という作品だった。
A.A.ミルンの『クマのプーさん』(石井桃子訳、岩波少年文庫)の中に、プーさんとその仲間たちが大雨の洪水に巻き込まれる話があった。
あるいは、そのあたりのお話を原作にしたものかもしれない。
興味深いのは、『エイヴォン記』の中で、今回初めて、フーちゃんと文学作品とが密接な関わりを持ったことである。
やがて、フーちゃんは「ドリトル先生物語」を愛読するようになるのだが、外国文学に対する興味関心の萌芽が、この「クマのプーさん」の中に現れていたのかもしれない。
それにしても、フーちゃんが「かんがえる。かんがえる」と言ったとき、庄野夫人は「カンガとルウ?」と、フーちゃんに訊き返している。
「クマのプーさん」を読んでいなければ分からない場面だと思った。
庄野さんの随筆みたいな日記みたいな作品が楽しいのは、文化的な話題が多いということも関係していると思う。
庄野さんの作品を読んでいるだけで、僕たちの文化的好奇心は随分と満たされてしまうのだ。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS