庄野潤三「少年パタシュ」読了。
本作「少年パタシュ」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第十一回目の作品であり、「群像」1989年(平成元年)6月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
「あんちゃん(あつ子ちゃん)とこんちゃん(妻)とお母さんとでちゅっちゅ、見に行こう」
最終回を前にして、『エイヴォン記』はすっかりと、庄野家の家族日誌的なスタイルが定着している。
南足柄の長女から届いた宅急便の中に、長女からの手紙が入っていて、その手紙の全文が引用されていたりするのは、今後の作品でもおなじみとなる素材だ。
今作の「少年パタシュ」では、孫娘フーちゃんの成長ぶりが著しい。
長靴を履いたフーちゃんは、「あんちゃん(あつ子ちゃん)とこんちゃん(妻)とお母さんとでちゅっちゅ、見に行こう」という。大家さんの庭にせきせいいんこの籠が吊してあるのを見に行こうというのである。(庄野潤三「少年パタシュ」)
長男が入っている家作は、もともと大家さんの息子夫婦のために庭先に建てた二階家であるが、息子夫婦が親の家で同居するようになってから貸家になっている。
連載の途中までは、ほとんど言葉を発しなかったフーちゃんが「あんちゃん(あつ子ちゃん)とこんちゃん(妻)とお母さんとでちゅっちゅ、見に行こう」などという、長い台詞をしゃべる場面が楽しい。
他にもある。
妻の話。はじめ、電気スタンドの前にあった写真を手に取って見た。この前、次男夫婦が箱根芦の湯のきのくにやさんへ行ったときの写真。部屋の中でパジャマを着て次男の膝に抱かれている自分の写真を見て、「お父さんだァ」とフーちゃんがいった。物をいわない子が、少しずつ物をいうようになった。(庄野潤三「少年パタシュ」)
庄野さん自身が「物をいわない子が、少しずつ物をいうようになった」と、明確に感じていることが分かる。
一呼吸おいて、「ばァか」といった。物をいわないフーちゃんが、いった。
さらに、もうひとつ。
台所で妻がメロンの皮をむいて、包丁を入れて、皿に載せていたときのことだ。フーちゃんは待ちきれなくて、お皿のメロンに手を出そうとした。「あとで、みんな一しょねに」といって私が止めると、一呼吸おいて、「ばァか」といった。物をいわないフーちゃんが、いった。日に日に賢くなる。(庄野潤三「少年パタシュ」)
フーちゃんが、まさかの「ばァか」である。
こんなところにも、祖父の喜びが感じられていい。
そんなフーちゃんの成長と呼応するように、今回の文学作品は、話好きの少年パタシュの物語だ。
「少年パタシュ」は、『毛虫の舞踏会』(堀口大学訳、札幌青磁社)に収録されている、トリスタン・ドレエムの短篇小説である。
庄野さんが持っている『毛虫の舞踏会』は、戦後の昭和21年8月15日発行の第三刷で、定価は三十円。
この「少年パタシュ」が、また、おもしろい。
そんなら、あんたも牡牛と同じだよ。反芻してるんだよ。みんなが反芻するんだよ。詩人なんかは反芻の専門家だ。彼等は少年時代や青春の楽しかった日を反芻する。すると彼等の過去の一切がよみがえって、心の中に浮んで来る。早い話が食いしん坊さん。先ず自分のしていることを御覧よ。(「少年パタシュ」)
「少年パタシュ」は、無邪気な少年のパタシュと、彼の遊び相手となっている「僕」の会話から構成されているのだが、この会話が深い。
いつか、札幌青磁社の『毛虫の舞踏会』を見つけて、「少年パタシュ」を全編通しで読んでみたいと思う。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS