村上春樹の世界

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」心理学者と深掘りする『ねじまき鳥クロニクル』

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」あらすじと感想と考察

村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」読了。

本作「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」は、1996年(平成8年)に刊行された対談集である。

この年、村上春樹は47歳、河合隼雄は68歳だった(ほぼ20歳差)。

『ねじまき鳥クロニクル』を心理学的に分析する

河合隼雄さんが「あとがき」で言っているけれど、この二人、かなり馬が合うらしい。

話がめっちゃ盛り上がっている様子が、対談からひしひしと伝わってくる。

村上さんは、ちょうど『ねじまき鳥クロニクル』(1995)を完成させた直後だったから、対談のポイントは『ねじまき鳥クロニクル』に置かれている。

『ねじまき鳥クロニクル』を読んで「意味が分からないなあ」と思ったら、この対談集を読んでみるといいかもしれない。

「そうだったのか!」という、新しい発見がある。

何より新しい発見だったのは、著者である村上春樹にも、作品の意図は、はっきりとはつかめていないということだ。

<村上>書きはじめのときに全体の見取り図があるわけではぜんぜんなくて、とにかく書くという行為の中に入り込んで行って、それで最後に結末がよく来ますね、と言われますが、ぼくはいちおうプロのもの書きだから結末は必ず来るのです。そしてある種のカタルシスがそこにあるわけです。(村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)

村上さんは、完成した作品を読んで、一人の読者として「この部分は、こういうことを伝えたかったのだろうか?」などと考えるらしい。

「何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからない」というくらいだから、きっと本当に分からないのだろう。

村上春樹にとって、小説を書くという行為は、一つの「治癒行為」だという。

河合隼雄の指摘によると、治癒されるべきものが多いほど作品は長くなる。

『源氏物語』があんなに長いのも、紫式部という著者の業が、あまりにも深かったためだということになる。

心理学者と話をしていると、文学作品が、著者の心理分析へとつながっていくからおもしろい。

<村上>ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね。ぼくが書いたのとはまったく違うタイプの夫婦ですが、イメージとしては頭の隅にあった。彼は結局、仏門に行きますね。(村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)

夏目漱石の『門』について、河合先生は「ふつうの意味の仏門なんか通ったって、夫婦のことはわからない」と言っている。

「やはり『井戸掘り』をしなくてはいかんのだ」と。

どうやら、心理学者にとって「井戸掘り」(『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる)は、かなり興味のあるメタファーだったのだろう。

改めて『ねじまき鳥クロニクル』という小説を読んでみたいと思った(かなり長いんだけど)。

『海辺のカフカ』へつながるヒント

二人の対談では、『ねじまき鳥クロニクル』の分析だけではなく、村上さんの今後の作品につながる話題も、しばしば登場している。

次に書くことになる長篇小説『海辺のカフカ』(2002)のヒントになったと思われるものもある。

村上さんが、『源氏物語』の超常現象について「あれは(怨霊とか)、現実の一部として存在したものなんでしょうかね」と問いかけたとき、河合先生は「あんなのはまったく現実だとぼくは思います」と答えている。

<村上>物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった? <河合>ええ、もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。(村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)

現代科学から考えると、生霊とかあるはずがないのに、河合先生は「もう全部あったことだと思います」と断定する。

同じように考えると、『海辺のカフカ』のカフカ少年が、ナカタ老人の肉体を通して父親を殺すという場面も、メタファーではなく、現実のものとして受け止めることができる。

なにしろ、村上さんは、『ねじまき鳥クロニクル』の取材でノモンハンを訪れたときに、現代科学では説明のつかない、不思議な体験をしている人だ。

<村上>それで、いちおう慰霊という意味もあって、ぼくは迫撃砲弾の破片と銃弾を持って帰って来たのです。えんえんまた半日かけて町に戻って、ホテルの部屋にそれを置いて、なんかいやだなと思ったんですよ、それがあまりに生々しかったから。(村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)

その夜、村上さんは、歩けないくらいに部屋中がガタガタ揺れているのに目を覚まし、地震だと思って這うようにして廊下へ出ると、何事もなかったように静まっていたという。

絶対にあり得ないような話だけれど、河合先生は「ぼくはそんなのありだと思っているのです」と、村上さんの話を受け入れている。

心理学者って、本当にすごいなあと思う。

でも、一番すごいと思ったのは「治癒することがすべてではない」という考え方だ。

<河合>しかし、治るばかりが能じゃないんですよ。そうでしょう、生きることが大事なんだから。そこがひとつ大事なところです。(村上春樹・河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)

一番大切なことは生きることであって、治癒することではない。

さすがに、たくさんの経験を積んできた心理学者のレトリックだと思った。

今度は、河合隼雄の著書をちゃんと読んでみよう。

それにしても、こんな対談だったら、もっとたくさん読みたかったなあ。

村上さんの小説が出るたびに、河合先生に解説してもらったら、きっと作品解釈の幅も大きく広がっただろう。

書名:村上春樹、河合隼雄に会いにいく
著者:村上春樹・河合隼雄
発行:1996/12/5
出版社:岩波書店

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。