外国文学の世界

ゴーゴリ「狂人日記」恋にイカれて自分は王様だと信じ込んだ下級役人

ゴーゴリ「狂人日記」あらすじと感想と考察

ゴーゴリ「狂人日記」読了。

本作「狂人日記」は、1835年に発表された短篇小説である。

この年、著者は26歳だった。

恋にイカれた下級役人が狂っていくまで

本作「狂人日記」は、恋にイカれた下級役人の物語である。

<おれ>は優秀な公務員なのに、なぜか直属の上司(課長)の評価が著しく悪い。

<おれ>には分かっている。

課長は、優秀な部下である<おれ>に嫉妬して、意地悪ばかりしてくるのだ。

主人公の<おれ>は、常に自分が優秀な人間であり、出世するにふさわしい人間であることを疑わない。

なあに、いまに出世してみせるぞ。年だってまだ四十二なんだ──勤めだって、まだこれからというところだ。いまに見てろ!(ゴーゴリ「狂人日記」横田瑞穂・訳)

自己評価と周囲の評価との落差が著しいサラリーマン、それが日記の作者である<おれ>だ。

そんな<おれ>が、美しい<長官>の令嬢に恋をした。

自分こそ彼女にふさわしい男だから、二人が結婚するのは当然だろうと、彼は自身たっぷりに考えるが、令嬢は、身分の高い<侍従武官>と結婚してしまう。

令嬢と結婚はできないし、いつまで経っても出世もできない。

こんな状況は、どう考えてもおかしいということに、彼は気付く。

なるほど、おれは九等官だ、でも、どういう理由で九等官なんだろう? ひょっとしたら、おれはぜんぜん九等官なんかじゃないかもしれんぞ? もしかしたら、おれは伯爵だか将官だかの身分でありながら、ただ自分で九等官だという気がしているのかもしれんぞ。ひょっとすると、おれは自分で自分の身分を知らんのかもしれんぞ。(ゴーゴリ「狂人日記」横田瑞穂・訳)

目覚めた彼は、自分こそ、現在空位になっている「スペインの王様」であったことに気が付く。

やがて、「スペイン」へと案内された彼は、「総理大臣」から背中を棍棒で叩かれ、冷たい水を頭からぶっかけられる。

「スペイン」の宮廷の儀式は、まったくもって変わっているのだ──。

自己評価だけが高いビジネスマン

本作「狂人日記」を読みながら感じたことは、こういう自己評価だけ高い人間って、今でもいるよなあということ。

むしろ、現代にこそ、メタ認知力の十分ではない、自己評価だけが異常に高いビジネスマンが多いような気がする。

ゴーゴリの作品に登場する「下級役人」は、現代でいえば「民間企業の平社員」と同じようなもので、彼らにとって最大の関心事はとにかく「出世」だった。

本作の<おれ>も、長官への令嬢への恋愛からおかしくなっていくが、根本にあるのは「出世できない」という焦りと不安である。

いったい、どうしてこれまで自分が九等官だなんて思っていられたのか、わけがわからぬ。あんなとほうもない狂気じみた空想が、まったくどうしておれの頭へ浮かびえたのか? まだだれ一人おれを精神病院へ入れようと思いつかないうちで、まあまあ仕合せだった。(ゴーゴリ「狂人日記」横田瑞穂・訳)

自分こそ「スペインの王様」だと悟った彼は、九等官だと思い込んでいた従前の自分は、気が狂っていたに違いないと考える。

笑うに笑えないブラックジョークだが、ここにゴーゴリ作品のおかしさと悲しさがある。

もっとも、管理職志向のないZ世代の人たちには、もしかすると、<おれ>の気持ちが理解しにくいかもしれない。

かつて、社会に出て成功するということは、すなわち、その社会の中で出世するということだった。

立身出世こそ、成功者の証だったのだ。

だから、唱歌「ふるさと」にある「♪志(こころざし)を果たして、いつの日にか帰らん~」の「志(こころざし)」とは、つまり立身出世のことである。

明治時代、立身出世は、まだまだネガティブな言葉ではなかったのだ。

そういえば、『狂人日記』の最後には、いよいよ頭のおかしくなった<おれ>が、故郷の幻覚を見る場面が出てくる。

遠くに見えているのはわが家じゃないか? 窓べにすわっているのはおふくろじゃないか? おっ母さん、このあわれな息子を救っておくれ! この痛い頭に、せめて一滴、涙を注いでおくれ!(ゴーゴリ「狂人日記」横田瑞穂・訳)

社会に出て出世するということは、故郷の母を喜ばせ、安定した仕送りをすることができるという、最大の親孝行だったのだろう。

笑っちゃうけど切ないというメッセージが、この古いロシア文学の中にある。

偉くなりたいと思って、何が悪いんだ?

問題は、彼に実力が伴っていなかったということにあるのかもしれないけれど。

作品名:狂人日記
著者:ゴーゴリ
訳者:横田瑞穂
書名:狂人日記他二篇
発行:1983/10/17
出版社:岩波文庫

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。