日本文学の世界

立原正秋「鎌倉夫人」人妻はなぜ愛人と暮らす夫にさえも体を許すのか

立原正秋「鎌倉夫人」あらすじと感想と考察

立原正秋さんの「鎌倉夫人」を読みました。

想像以上にしっかりとした文学作品でした。

書名:鎌倉夫人
著者:立原正秋
発行:1981/5/15
出版社:角川文庫

作品紹介

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「鎌倉夫人」は、立原正秋さんの長編小説です。

武田勝彦さんの解説によると、「『鎌倉夫人』は『週刊新潮』(昭和40年11月6日号―41年4月2日号」)に21回にわたって、毎回5頁の分量で連載された」もので、「この小説が進行する時間は、連載中の時間と一致しているし、季節も週刊誌小説にふさわしく秋から春へと移り変って行く」「したがって、作品の背景となっている社会の動きも、ほぼ昭和40年代の現実と同じだ」ということです。

単行本は、1966年(昭和41年)に新潮社から刊行されています。

あらすじ

舞台は、昭和40年前後の鎌倉。

生駒医院の長女・生駒千鶴子は、戦前から鎌倉で暮らす有産階級の女性としての矜りを抱いて生きていますが、父の死後、婿養子の夫・良吉は、未亡人となった若き義母の房子と暮らしを共にするようになります。

鎌倉夫人としての矜りを保つために、良吉の不貞を放置しながらも、千鶴子は、妹の美由紀と付き合っている従兄の能勢広行に惹かれていくようになります。

物語は、かつて有産階級として鎌倉で栄えた生駒一族の矜りを忘れていない、千鶴子と広行の二人を中心に展開していきますが、、、

若宮大路の雑踏を、ライオンの仔を率いて歩く生駒千鶴子。誇り高い彼女は若い義母と通じた夫を軽蔑しながら、求められればからだをひらく。そして彼女に求婚したことのある能勢広行に、性の渇きを癒して貰うべく逢いに行く。めくるめく官能に酔いしれる女性たちの陰に、心の中に花を秘めて生きる脇坂葉子。……昭和40年代初頭の、湘南の古都・鎌倉の秋から春への季節の移ろいに展開する、華麗にして頽廃の翳りを帯びた愛欲模様。立原文学初期の傑作長編小説。(カバー文)

なれそめ

立原正秋さんの作品を読むのは、これが初めてです。

昭和中期に流行した作家として名前だけは知っていましたが、現代に読み継がれているわけでもなく、昭和の昼メロ的な不倫小説の作家というイメージが強くて、これまで敬遠していたのですが、、、(笑)

「鎌倉夫人」というタイトルは、いかにも昭和の有閑マダムというか、メロドラマ的な愛欲の匂いが漂っていますが、武田勝彦さんの解説によると「東京近郊の中産階級者の主婦が、武蔵野夫人、自由ヶ丘夫人などと呼ばれるようになった」「これらの地名は東京の郊外の高級住宅地である」「戦前の麹町、小石川、本郷、牛込などの山の手の高級住宅地が空襲で焼き払われたために、有産階級者が郊外に住みついた」「その主婦たちの心をくすぐるために、マスコミが地名を冠した夫人名を用いるようになった」「それが鎌倉にまで波及し、中産階級夫人を表わす名称として鎌倉夫人が登場したのだ」ということです。

はっきり言って、全然期待しないで読み始めたのですが、読了後には、僕の先入観が間違っていたことを、僕は知ることになります、、、

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

嫉妬で人を殺すのは、俺は賛成しないよ。

嫉妬で人を殺すのは、俺は賛成しないよ。また、怨恨で人を殺めるのも、俺には賛成できない。俺はあの日、下衆者は殺した方がいい、と言ったのだ。(立原正秋「鎌倉夫人」)

夫の良吉が、義母と不倫をしていることについて、千鶴子は従兄の広行に相談をします。

職を持たない広行は「鎌倉山の奥にある半世紀ほど前に建てた家」で、相続税を払うこともできず、それでも毎日を遊んで暮らしています。

千鶴子の相談に広行は「2人を殺してしまえばよい」と、あっさりと助言しますが、その理由は、千鶴子が哀れだからでも、良吉が生駒家を裏切ったからでもありませんでした。

生駒家の財産を狙って婿養子に入った良吉と、同じく生駒家の財産を狙って千鶴子の父と結婚をした房子、この成り上がり者の2人を、鎌倉の有産階級の一族として生きてきた広行は許すことができなかったのです。

根性のさもしい人間だけは、どうにも好かん。

俺は、心のさもしい人間には、理由の如何を問わず、絶対に同情しないことにしているんだ。それだけだ。冷酷と冷徹のちがいを少し研究してみるのも、何かの役に立つだろう。冷徹さ、これが必要だ。(立原正秋「鎌倉夫人」)

広行は、別の場面でも「俺は、あの脇坂葉子のような貧しい人間が好きだ。しかし、根性のさもしい人間だけは、どうにも好かん」と発言しています。

脇坂葉子は、外科医である千鶴子のいとこが雇っていた元・看護婦で、この外科医の子どもを産みますが、家柄が良くないということで結婚を許されず、葉子は幼い子どもを私生児として女手ひとつで育てていきます。

生駒一族の中で、葉子の世話をしたのは、遊び人の広行一人であり、没落しつつもかつての栄光から見栄を棄てきれない生駒一族の人間は、鋸の目立て職人の娘である葉子を受け入れることができません。

見栄と矜りとの違いを理解している広行だけが、葉子の誠実な人間性を正当に評価していたのですが、今は没落したとは言え、戦前までは鎌倉の有産階級として生きた生駒一族の矜持が、こんなところにも覗いているようです。

先生もマダムも、そしてあの爺さんも、みんな勝手な生き方をしている。

しかし、先生、俺には判らないことだらけだ。先生もマダムも、そしてあの爺さんも、みんな勝手な生き方をしている。あのライオン医院の奥さんも、亭主を追いだしてしまったそうじゃないか。どういうんだろうね。どこかが狂っているのかね。(立原正秋「鎌倉夫人」)

相続税の支払いのために広行は古い屋敷を手放し、父の弟・生駒草平の屋敷も、嫉妬に狂った娘の放火により全焼してしまいます。

広行の弟子を自称する安房慶一は、没落していく生駒一族の様子に驚きを隠そうとしません。

もっとも、そういう安房慶一自身も、かつて鎌倉の有産階級として栄えた一族の一人であり、やがて相続税を支払うことができずに、広い屋敷を手放さざるを得ない運命を持っている人間です。

「鎌倉夫人」は、高級住宅地の鎌倉で生きる有産階級の女性たちを総称する言葉ですが、主人公の生駒千鶴子は、どうにか有産階級としての生活を維持しています。

しかし、現実の彼女を取り巻いているものは、スナックのマダムとして生きる妹の美由紀や、遊び人のいとこである広行、世捨て人のように街を歩く生駒草平など、既に没落してしまった一族の人々たちでした。

没落した有産階級と、有産階級を食い物にして成功を目指す成り上がりとの目に見えぬ闘いが、この作品の大きなテーマになっているような気がします。

読書感想こらむ

「鎌倉夫人」は純文学作品ではありませんが、読み捨ての大衆小説というわけでもありません。

いわゆる「中間小説」という言葉がふさわしい作品ですが、昭和中期の中間小説のレベルの高さに、今さらながらに驚きました。

最近は、戦後の小説を主に読んでいますが、エンターティメント的な要素を含む作品であっても、高い文学性を含んでいることが多く、高度経済成長の時代、日本の小説界は、まだ多くの読者を得ていたことを想像させます。

「鎌倉夫人」も、大衆の関心を惹きやすいタイトルとストーリーで、多くの読者を獲得したものと思われますが、物語を流れるテーマは、決して低劣なものではありません。

分かりやすく言ってしまえば、確かに昭和のメロドラマ的展開(愛と肉欲のストーリー)ではあるのですが、それだけではない文学性の高さが、この小説を読む一つの意義だと感じました。

まとめ

「鎌倉夫人」は、立原正秋さんの長編小説です。

昭和40年代の鎌倉で生きる、かつての有産階級者たちをめぐる鎌倉群像の物語。

美しく描かれる鎌倉の季節感も見逃せません。

著者紹介

立原正秋(小説家)

1926年(大正15年)、南朝鮮生まれ。

1966年(昭和41年)、「白い罌粟」で直木賞を受賞。

「鎌倉夫人」刊行時は、40歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。