庄野潤三「ふるさと」読了。
本作「ふるさと」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第十二回目(最終回)の作品であり、「群像」1989年(平成元年)7月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
「ライラックがかったローズは、エリザベス女王のお好きな色です」
「ブッチの子守唄」から一話ずつ読んできた『エイヴォン記』も、今回の「ふるさと」が最終回である。
連載第一回目と最終回とを比べてみると、そのスタイルは大きく異なっている。
手探りで始まった連載が、回を重ねるうちに、豊潤な物語へと成長していったように思う。
庄野さん自身も、この『エイヴォン記』の連載の中で、自分のいちばん書きたいものを見つけたのかもしれない。
孫娘フーちゃんを中心とする庄野一族の物語は、この後、庄野さんが亡くなるまで続く、壮大なライフワークとなるのだから。
妻が、「ライラックがかったローズは、エリザベス女王のお好きな色です」という。八年ほど前に「エリア随筆」の作者チャールズ・ラムのことを書くためにロンドンを訪れたとき、ハロッズ百貨店で南足柄の長女とあつ子ちゃんのためにカーディガンを買った。選んだのはライラックがかった、くすんだローズの色であったが、店員のおばあさんが、「クイーンのお好きな色です」といったというのである。(庄野潤三「ふるさと」)
ご近所の清水さんからもらったライラックの花を飾りながら、庄野さんは、ロンドン旅行のことを思い出している。
この旅行のことは『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』という著作に詳しく書かれている。
ついでに、庄野さんの著作につながるものをもうひとつ。
念のために附加えると、四年前に脳出血で入院した私は、今はすっかり元気になっているが、月に一回、病院へ行き、診察を受け、薬を貰って来る。毎日、規則正しく散歩を続けているのも、健康を立て直すための大切な日課なのである。(庄野潤三「ふるさと」)
脳出血で倒れたときの体験は『世をへだてて』という闘病記になった。
庄野さんの日課となっている散歩は、この病気のリハビリから始まったものであった。
ちなみに、『世をへだてて』の中に、次男の嫁のミサヲちゃんが妊娠した話が出てくる。
このとき、お腹の中にいた子どもこそが、現在の孫娘フーちゃんだった。
切符の世話をしてくれた友人のS君ととももに、うどんしゃぶしゃぶの鍋を囲んだ
『エイヴォン記』連載終了時(平成元年七月)の庄野さんは、68歳だった。
フーちゃん三部作の続編となる『鉛筆印のトレーナー』の連載を開始するのが、70歳のときで、庄野文学晩年の名作シリーズは、こうしてつながっていくのである。
『エイヴォン記』の連載開始時に二歳になったばかりだったフーちゃんは、間もなく三歳になろうとしている。
宝塚を観たあと、銀座でお汁粉の店へ入ったり、日比谷公園を散歩したりして、夕方からニュートーキョーの二階の小さな畳の部屋で食事をした。これには会社を早引けした長男と、ミサヲちゃんが宝塚を観られるように休みを取って、家でフーちゃんと留守番をしていた次男も参加して、全員が集合した。そうして、切符の世話をしてくれた友人のS君ととももに、うどんしゃぶしゃぶの鍋を囲んだ。(庄野潤三「ふるさと」)
宝塚の観劇には南足柄の長女も参加しているから、この日の会食は、まさしく庄野家の全員集合だった。
友人のS君(阪田寛夫)も含め、晩年の庄野文学のオールスターが登場して、『エイヴォン記』の最終回を賑やかに盛り上げてくれている。
ちなみに、今回の文学作品は、魯迅の「ふるさと」。
以前いに紹介した「蛇使い」と同じく、佐藤春夫編志『志那文学選』に収録されている作品である。
少年時代の楽しい思い出を胸に、かつての旧友と再会した「僕」の物語は、やがて、大人になっていくフーちゃんの物語とも、根底でつながっているような気がする。
まずは『鉛筆印のトレーナー』で、三歳になったフーちゃんと再会してみることにしよう。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS