日本文学の世界

井伏鱒二「丑寅爺さん」牛飼いの悩みと家族間・世代間・職業間の断絶

井伏鱒二「丑寅爺さん」牛飼いの悩みと家族間・世代間・職業間の断絶

井伏鱒二「丑寅爺さん」読了。

本作「丑寅爺さん」は、1950年(昭和25年)5月『中央公論』に発表された短編小説である。

この年、著者は52歳だった。

作品集では、1950年(昭和25年)に文藝春秋社から刊行された『本日休診』に収録されている。

古い時代の種牛屋の苦悩

ここで描かれているのは、職業としての牛飼いの苦悩である。

主人公<丑寅爺さん>の本名は<虎吉>だが、牛を飼い太らせることが上手だったので、誰ともなく<丑寅爺さん>と呼ぶようになった。

丑寅爺さんの本業は「種牛屋」である。

立派な雄牛を飼育しておいて、農家から請われた際に、その牡牛を種牛として提供し、農家の牝牛と交尾させる。

この村で牛を飼っていない家は一軒もなかったから、腕の良い種牛屋としての丑寅爺さんは、非常に重宝されていた。

ところが、丑寅爺さんの倅の<東吉>は、父親の職業を快く思っていない。

倅の東吉は一男一女の子持ちである。一昨年、長男が小学校へ行くようになると、東吉は丑寅爺さんに、自分の村内だけは牛の種つけをして歩かないようにさせた。子供が学校で、ほかの子供たちから妙な目で見られるのが可哀想そうだと云う。爺さんは最初、そんなつらいことを云ってくれるなと倅に頼んだ。(井伏鱒二「丑寅爺さん」)

東吉には、自身が子どもの頃に、父親の職業をネタにして学校でいじめられた経験があるから、事態は深刻だった。

結局、親子間の理解が整わず、丑寅爺さんは品評会で入賞した三匹の雄牛を連れて、家出をしてしまう──というのが、この短編小説の大まかなあらすじである。

この物語で描かれているのは、種牛屋という職業に無理解な一般社会の姿だろう。

種牛屋に対する無理解は、はじめ、学校でのいじめとして露呈する。

次に、学校でのいじめを恐れる子どもが、父親の職業に対する無理解という形で発展していく。

しかし、実際には、多くの村人が丑寅爺さんの世話になっているのだから、丑寅爺さんの職業が、村人から非難される謂われはない。

ここに、種牛屋という職業に対する社会構造的な歪みが生じている。

昔から、社会的に極めて重要でありながら、賤しい職業としての誹りを免れることのできない職業が、日本には多くあった。

その職業の人がいなくなって困るのは一般の人々なのに、案外、庶民はそのことに気が付かない。

「丑寅爺さん」は、そんな社会の矛盾を風刺した庶民小説と言うことができるだろう。

庶民の暮らしに入りこんで庶民目線で描く

『井伏鱒二自選全集(第三巻)』の「覚え書」で、井伏さんは、こんな話を書いている。

疎開していたとき、和牛のことを調べ、東京に転入してから牛飼いのなやみを書いた。新しい時代の牛飼いの悩みではない。石井桃子さんが福島県の山村で女子大の同級生と一緒に乳牛を飼っていた。私は牛に興味があったので、和牛のことを書きたいと思った。(井伏鱒二『井伏鱒二自選全集(第三巻)』覚え書)

石井桃子は「乳牛から乳をしぼるために、雄牛に交尾料を払わなければいけない」と言っていたそうである。

だから、本作「丑寅爺さん」で描かれているのは、古い時代の牛飼いの姿ということになるが、庶民の暮らしの中に入りこんで、庶民目線で小説を書くことの好きだった井伏さんらしい作品である。

同じく『井伏鱒二自選全集(第三巻)』の月報の中で、庄野潤三は「『丑寅爺さん』と詩碑除幕式」という文章を寄せている。

ここで庄野さんは「井伏さんが戦後のまだ早い時期にご自分の郷里を舞台にして書かれた作品を読み返してみよう」と考え、「復員者の噂」「白毛」「丑寅爺さん」の順に読んでいくが、特に庄野さんの心を強くとらえたのが「丑寅爺さん」だった。

「丑寅爺さんのいる当村大字霞ケ森をフランスのブルゴーニュの農村に見立ててみたくなる」という庄野さんのコメントは、なるほどという感じがする。

井伏さんの作品は、まったく派手な展開がないのに、読んでいてしっかりと楽しい。

つまり、それが小説というものなんだろうなあ。

作品名:丑寅爺さん
著者:井伏鱒二
書名:井伏鱒二自選全集(第三巻)
発行:1985/12/20
出版社:新潮社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。