日本文学の世界

團伊玖磨「パイプのけむり」怒りの説教おじさん登場

團伊玖磨「パイプのけむり」柳沢きみお『大市民』的説教おじさん登場

團伊玖磨「パイプのけむり」読了。

本作「パイプのけむり」は、1965年(昭和40年)に刊行されたエッセイ集である。

この年、著者は41歳だった。

柳沢きみおの『大市民』的エッセイ

團伊玖磨の「パイプのけむり」は、2000年(平成12年)の第27巻まで続編が刊行された人気のエッセイ集らしい。

人気の秘密は、読みやすさとネタの選び方の上手さである。

まず、文章に関しては、いかにも、これが、戦後日本で流行したエッセーなるものだということを教えてくれる。

基本的に文句やグチが多い。

社会に不平不満を持っている人たちの共感を得られる仕組みである。

文句やグチを生かすために、ネタは時事問題が多い。

朝日新聞社の『アサヒグラフ』に連載されたエッセイであることからして、社会への不満の捌け口が基本になることは、必然だったのかもしれない。

例えば、著者は海水浴が嫌いである。

海水浴場では、よく流行歌のレコードをスピーカーでガーガーやっていて、全く耳ざわりに思うが、これも、流行歌が聞こえないと海水浴に来た気がしない、という人が多いからなのだそうである。(略)夏が来る度に、海水浴場にだけは行きたくないものだと思う。(団伊玖磨「海水浴」)

1964年(昭和39年)8月7日のエッセイである。

レジャーブームの中心的な存在だった海水浴ブームを、著者はよほど気に入らなかったらしい。

次に、著者は、テレビジョンやラジオが大嫌いである。

ラジオとテレビジョンは、現代の”パンドーラの箱”である。一度開ければその中からは、この世のあらゆる醜いもの、怖ろしいもの、不快なもの、厭なもの、そして不幸が跳び出して来て、そこいら中を一杯にする。(團伊玖磨「宣伝放送」)

1965年(昭和40年)2月19日のエッセイである。

嫌いなものを誌面を使って徹底的に攻撃する説教おじさん、それが、團伊玖磨の「パイプのけむり」だった。

今だったら、流行の事象を採りあげて「最近の若者はけしからん」とか言って怒りまくっている、テレビのワイドショーに登場するコメンテーターみたいなものである。

若者に不平不満を持っている中高年に受けたんだろうなあ。

時事ネタで現代社会を皮肉った、長谷川町子の『サザエさん』みたいなものである(そういえば『サザエさん』も朝日新聞だった)。

こういうのは、何かで見た覚えがあると思ったら、そうだ、柳沢きみおの『大市民』だ。

海水浴ブームが嫌いとか、テレビが嫌いとか、いかにも<山形鐘一郎>の言いそうなことである。

もっとも、柳沢きみおの『大市民』は、いかに人生を楽しく生きるかを教えてくれる、前向きな物語でもあった。

他人のグチとか文句というのは、読んでいて楽しくないし、得られるものも少ないように思う。

ストレスの捌け口だったら読書以外のものに求めたい。

<おきゅうと>と<あぶってかも>

という自分も、読み終えた本の愚痴を書くためにブログを更新しているわけではない。

たった一つ気に入ったエッセイが、昭和40年8月6日の「あぶってかも」である。

故郷の福岡を訪ねたときのエピソードに、テロで殺害された祖父・團琢磨の思い出を組み合わせた、優れた随筆である。

優しかった祖父は、其の頃の或る日、突然のテロによって路上で射殺され、あぶってかもの香りもそれとともに僕の周辺から消えた。いつとは無しに、あぶってかもという奇妙な名も忘れて、三十数年が過ぎた。懐かしいこの名と香りを忘れているうちに、多くの、嬉しいこと、悲しいこと、そして、感動が、後悔が、苦痛が、幸福が、流れ来たり、又、流れ去って行った。(團伊玖磨「あぶってかも」)

女友達の部屋で、著者は涙を流しながら、あぶってかもを食べ続ける。

<おきゅうと>と<あぶってかも>という郷土の料理が、この作品の重要なキーワードとなっていて、この作品は素晴らしいと思った。

書名:パイプのけむり
著者:團伊玖磨
発行:1960/11/30
出版社:朝日新聞社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。