外国文学の世界

フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」ニューヨークの高等遊民の野望と破滅

F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」あらすじと感想と考察

F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」読了。

本作「美しく呪われた人たち」は、1921年(大正10年)9月から1922年(大正11年)3月まで『メトロポリタン・マガジン』に連載された長篇小説である。

原題は「The Beautiful and Damned」。

単行本は、1922年(大正11年)3月に刊行されている。

この年、著者は26歳だった。

ニューヨークの高等遊民の野望と破滅

本作「美しく呪われた人たち」は不思議な小説である。

読み進めているときは、とてもおもしろいと思っていたのに、全部読み終わっていると、作者が何を伝えたかったのか、さっぱり分からない。

例えば、主人公<アンソニー・パッチ>は働くことが嫌いで、一生働かずに遊んで暮らしたいと考えている、怠惰な若者だった。

「僕には理解できない。どうして若者はみんなダウンタウンに出かけ、一日に十時間働かなきゃいけないって誰もが思っているんだろう。人生の一番いい時間をこんなふうに過ごさなければいけないって。あの単調で、何の想像力もない仕事。人のためになるわけでもない仕事をして」(F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」上岡信雄・訳)

もしかして、これは、フィッツジェラルド版の『それから』(1910年、夏目漱石)だろうか?と、最初は思った。

アンソニー・パッチは、ニューヨーク版<代助>、つまり、高等遊民を気取る若者として描かれていくのかもしれないと考えたのだ。

ところが、第一次世界大戦に飲み込まれてしまう形で、アンソニーの生き方が有耶無耶になっているうちに、貧困への恐怖からアンソニーは気が狂い、そこに祖父の莫大な遺産が転がり込んでくる。

最後は、遺産を使って海外旅行へ出かけるところで物語は終わるのだが、あまり高等遊民らしい感じはしない。

貧困への恐怖故に頭がおかしくなったところで、莫大な財産を手に入れるあたり、人生の皮肉を描いたものだろうか。

あるいは、この作品は、放蕩生活に明け暮れた新婚夫婦の破綻を描いた悲劇物語かもしれない。

当時「フラッパー」と呼ばれたモダンガール<グロリア>は、男と贅沢なしでは生きていけない女で、アンソニーと結婚してからも破天荒な暮らしを続けるのだが、一時は発狂すると思われたグロリアは、意外と最後まで持ちこたえる。

「女はね、その男の妻や愛人になりたいと思っていなくても、美しくロマンチックに男とキスできるべきなのよ」(F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」上岡信雄・訳)

新しい価値観を有する女性としてグロリアは魅力的な存在だが、最後の最後で、頭のおかしくなったアンソニーに、おいしいところを全部持って行かれてしまっている。

結局、この作品は、着地に失敗した長編小説という印象を拭えない。

あちこちに埋め込まれた「伏線のようなもの」は回収しきれていないし、前半のテーマは、後半に至って引き継がれてさえいない。

要するに、書きたいことが多すぎて、盛り込みたいことがはみ出してしまっているのだ(多分)。

一つ一つのテーマは、どれも面白そうなんだけどなあ。

「フィッツジェラルドの作品中最も長く、そして最も失敗した作品である」と評される理由も分かるような気がした。

1922年(大正11年)に刊行された作品が、日本で初めて翻訳紹介されるのは2019年(令和元年)のこと(しかも、フィッツジェラルドの長編小説が!)。

およそ100年もの間、『美しく呪われた人たち』は、鍵を掛けた引き出しの中へ大切に隠されていたのかもしれない。

『美しく呪われた人たち』の魅力

もっとも、全体の構成はともかく、パーツパーツで見たとき、『美しく呪われた人たち』は決してつまらないだけの長編小説ではない。

例えば、細部に着目すると、非常に研ぎ澄まされた表現が並べられている。

彼女は半円や放物線の組み合わせでできているのだとアンソニーは気づいた。器用な人がタイプライターで作る絵文字のよう──頭、腕、胸、尻、腿、くるぶしなど、曲線を呆れるほど何層も重ねたかのように見える。(F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」上岡信雄・訳)

こうした豊潤な表現スタイルは、やはり、フィッツジェラルドの魅力の一つだと思う。

また、アンソニーとグロリアを脇で支える登場人物たちもいい。

特に、成功者としてのフィッツジェラルドをモデルにしていると思われる作家のリチャード・キャラメルには注目したい。

長篇デビュー作で注目を集めた彼は、その後、金になる短編小説を書いて生活費を稼いでいるが、まともな文学作品を書いていると信じているのは本人だけだった。

「おかしな感じなんだよ、この成功ってやつはさ」とディックは言った。「小説が出版される前は、短編小説を売ろうとしても売れやしなかった。ところがあの本が出版されてから、三つの短編を磨き上げたら、雑誌社が買ってくれたんだ。前に断ったくせにね。それ以来、短編をたくさん書いたよ。本の印税は冬まで入らないからさ」(F・スコット・フィッツジェラルド「美しく呪われた人たち」上岡信雄・訳)

ディックは、フィッツジェラルドのデビュー作『楽園のこちら側』にも触れて、「あんな粗雑なリアリズムにはうんざりだよ」と批判しているが、これも当時の世の中の反応を、作品の中へ巧みに織り込んだものだろう。

『楽園のこちら側』に続いて、『美しく呪われた人たち』にも警句的な表現は多い。

最初から最後まで筋が一貫していないことが、この物語の欠点だとするならば、この小説は読み通すことを目的とするのではなく、気ままに開いたページを読んでみるくらいでも、十分に楽しめるのではないだろうか。

長篇小説としては、既に破綻しているかもしれないが、それだけの価値はあると思う。

書名:美しく呪われた人たち
著者:F・スコット・フィッツジェラルド
訳者:上岡信雄
発行:2019/04/30
出版社:作品社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。