外国文学の世界

ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」栄光と絶望の作家伝説

ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」あらすじと感想と考察

ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」読了。

本作「フィッツジェラルドの午前三時」は、1995年(平成7年)に刊行されたエッセイ集である。

原題は「Trois heures du matin : Scott Fitzgerald」。

短い人生に残されたフィッツジェラルド伝説集

本作は、小説家のF・スコット・フィッツジェラルドの人と作品をモチーフとしたエッセイ集である。

訳者あとがきを読む。

つまり、作家の生涯と作品を、様ざまなテーマに分けて短章で論じ、それらを巧みにコラージュすることによって、年代記的な記述や小説の内在的な分析からは漏れてしまいがちな、作家の陰翳に富んだ実像を浮き彫りにしようとするものである。(ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」中条省平・訳)

実際、本書は読み物として楽しく、フィッツジェラルドという作家の伝説について知ることができる。

作者のロジェ・グルニエは、フランスの作家であり、ジャーナリストでもあったから、こうした評伝的コラムを執筆することが、あるいは得意だったのかもしれない(他にも『チェーホフの感じ』という評伝的エッセイ集がある)。

フィッツジェラルドという作家の評伝的エッセイの素材となっているのは、フィッツジェラルドの遺した作品であり、数多くの手紙である。

「ぼくは最低の記者よりもニューヨークのことを知らず、リッツ・ホテルの使いっ走りのボーイのよりも社交界のことを知らなかったから、そんな役割を演じることは不可能だったのに、その事実が証明されないうち、またたく間に、世代の代弁者にして典型的な時代の子という席に座らされてしまったのだ」(ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」中条省平・訳)

フィッツジェラルドは、1920年(大正9年)、処女長篇『楽園のこちら側』で本格的な作家デビューを飾り、この作品で一躍時代の申し子となる。

24歳のときのことだった。

ベストセラー作家となったフィッツジェラルドは、1922年(大正11年)、長篇小説『美しく呪われた人たち』を発表。

そして、1925年(大正14年)、29歳のときに、20世紀アメリカを代表する文学作品となる名作『グレート・ギャツビー』を発表した。

しかし、成功者となったフィッツジェラルドは、借金とアルコール中毒と妻ゼルダの精神病とに苦しむようになり、次の長編小説『夜はやさし』を発表したのは、『ギャツビー』から9年後の1934年(昭和9年)のことだった(この年、フィッツジェラルドは38歳)。

この間、フィッツジェラルドは、目先の生活費を必要としたために、読み捨てのための短編小説を、ひたすらに書き続けていたのである(当時は、雑誌に掲載する短編小説が金になった)。

そして、未完の大作となる長編小説『ラスト・タイクーン』を執筆する中、1940年(昭和15年)12月、心臓発作により急死。

まるで生き急ぐかのように、波乱に満ちた44年間の生涯だった。

本書は、そんなフィッツジェラルドの短い人生に残された数々の逸話を題材とした、フィッツジェラルド伝説集である。

「魂の午前三時」という絶望の中で語られるべき作家

フィッツジェラルドを語る時、同世代作家として必ず名前の上がるのが、アーネスト・ヘミングウェイとウィリアム・フォークナーである。

ヘミングウェイとフィッツジェラルドは、ともに自分の伝説を作り上げようと躍起になっていた。しかし、ヘミングウェイが、自分のものにされたエピソードをうまく利用することができたのにたいして、フィッツジェラルドはそこにもっぱら屈辱の種を見出していた。(ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」中条省平・訳)

ヘミングウェイやフォークナーとともに語られるときのフィッツジェラルドは、ほとんど人生の敗残者である。

ベストセラー作家となって贅沢な暮らしに味を占めたがために、アルコールに溺れて、身を持ち崩してしまった男の物語が、必ずそこには登場する。

まして、フィッツジェラルドの人生の輝きは、1920年代のアメリカという時代の輝きと不可分なものであったから、フィッツジェラルドの没落は、アメリカ経済の破綻とともに語られることになる。

『崩壊』にこんな一節がある。「…魂の真暗な闇のなかでは、来る日も来る日も、時刻はいつでも午前三時なのだ」(ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」中条省平・訳)

フィッツジェラルドを愛する人たちは、フィッツジェラルドの「魂の午前三時」を愛した。

村上春樹『マイ・ロスト・シティー』(1981)のエピグラフに引用されているのも、もちろん、この「魂の午前三時」である。

フィッツジェラルドは「ジャズ・エイジ」という輝きの中で語られる作家以上に、「魂の午前三時」という絶望の中で語られるべき作家だったのだ。

ワーズワースの間の友人の遺体の前で、ドロシー・パーカーはこう繰り返していた。「哀れな野郎(ザ・プア・サノヴァビッチ)、哀れな野郎(ザ・プア・サノヴァビッチ)……」この言葉は人々の気分を害した。これがジェイ・ギャツビーの受けた弔辞だという事実を誰ひとり覚えていなかったのである。(ロジェ・グルニエ「フィッツジェラルドの午前三時」中条省平・訳)

本書では、フィッツジェラルドの生き様を考察するため、作品評価にかかわらず、多くの短編小説からの引用がある。

フィッツジェラルド文学は奥が深いと、改めて感じた。

書名:フィッツジェラルドの午前三時
著者:ロジェ・グルニエ
訳者:中条省平
発行:1999/3/10
出版社:白水社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。