日本文学の世界

富島健夫「青春の野望Ⅰ・錦が丘恋歌」朝鮮引揚者の自伝的青春小説

富島健夫「青春の野望(第一部)錦が丘恋歌」読了。

本作は、1974年(昭和49年)の「週刊プレイボーイ」に連載された長編青春小説である。

単行本は、1976年(昭和51年)9月、集英社から刊行された。

敗戦後の混乱の中で生きる少年たち

『青春の野望』は、富島健夫の代表作とも言うべき自伝的青春小説である。

この『青春の野望Ⅰ・錦が丘恋歌』は、主人公が戦後たてまえとしてデモクラシー国家を目指しはじめた日本に引き揚げてきて、九州の中学に転校する時からはじまる。これは僕の体験の再現でもある。(富島健夫「青春の野望」あとがき)

「あとがき」にも記されているとおり、この物語は、主人公の<若杉良平>が、朝鮮半島から引き揚げてきて、九州の豊津中学校へ入学する、1945年(昭和20年)12月から始まる。

朝鮮の竜山中学校へ通学していた良平は、戦後間もない11月1日に、日本へ引き揚げてきたばかりだった。

豊津中学二年生の生徒となったところから、良平の青春物語は始まる。

軍国主義の国から民主主義の国へと、価値観を大きく転換した戦後日本では、大人たちを信じることのできない少年たちが生まれた。

配給米ではなく闇米を食べる生活の中にも、彼らは、日本社会における建前と現実の意味を、否応なく学び取っていたのだ。

(民衆は豹変する)中学二年の良平は心にきざみ込んだ。(民衆は時の権力に迎合する。この人たちは、戦時中は軍のお先棒をかついで、革命の志士たちをアカだアカだと追いまわし、シンガポール陥落には提灯行列をし、すこしでも自由主義的な物の考え方をする者を非国民だとののしって迫害した。そして今、自分が一方的に被害者であったような顔をし、アメリカに媚を売り、付焼刃のデモクラシーを語り、闇をやって儲けている)(富島健夫「青春の野望(第一部)錦が丘恋歌」)

そんな不安定な戦後社会の中で、良平は少しずつ成長していく。

物語が本格的に動き始めて面白くなるのは、<酒田一成>と<近藤俊弘>という二人の友人が登場してからだろう。

左翼の酒田と右翼の近藤は、非常に対照的なキャラクターとして描かれており、良平を中心に、この二人の友人を二つの核としながら、物語は大きく展開していく。

中学・高校生活を通して良平の交友関係はどんどん広がっていくから、「青春の野望」は、若杉良平を中心とした青春群像劇に違いないのだが、酒田と近藤の二人が、強力な求心力をもって物語を進めていることは間違いがない。

この二人は、この後の良平の青春にも大きな関わりを持ち続けていくことになる。

太宰治が自殺した日

もうひとつ、ポイントがあるとすれば、それは、若杉良平の文学活動だろう。

やがて、職業作家となる良平の文学活動歴は、小説家・富島健夫を理解する上で、重要なヒントにもなっている。

美子は太宰治を知っていなかった。売出し中の新進作家だが、前岡の口からもついぞ聞かれなかった名で、良平も石井教諭に言われてはじめて知ったばかりである。美子が知らないのも当然と言えた。これが都会の文学少年少女であったら、とっくにその名を知っていたにちがいない。豊津は草深い田舎であり、明治大正の文豪たちがさかんに読まれているのどかな学校であった。(富島健夫「青春の野望(第一部)錦が丘恋歌」)

良平が<太宰治>という作家の名前を知って間もなく、新聞で太宰の自殺が報じられた。

太宰を崇拝している石井教諭のショックは大きい。

その日の第一時間目は石井一典の国語であった。教壇に立った石井は、生徒たちを見まわして、「太宰が死んだ」と言った。(富島健夫「青春の野望(第一部)錦が丘恋歌」)

敗戦後の混乱を描いた物語の中で、こうした文学的エピソードを読むことができるのは楽しい。

官能小説家として人気のあった富島健夫の作品なので、女性との性的な描写はしつこすぎるくらいだが、そういったラブシーンを除いても、「青春の野望」はおもしろい小説だと思った。

書名:青春の野望(第一部)錦が丘恋歌
著者:富島健夫
発行:1981/4/25
出版社:集英社文庫

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庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。