「クリスマスの思い出」に続いて、カポーティの「あるクリスマス」を読みました。
クリスマスムードが一気に高まりました(笑)
書名:あるクリスマス
著者:トルーマン・カポーティ
訳者:村上春樹
発行:1989/12/15
出版社:文藝春秋
作品紹介
「あるクリスマス」は、トルーマン・カポーティの短篇小説です。
原題は「One Christmas」で、1982年に発表されました。
訳者である村上春樹さんのあとがき「『あるクリスマスのためのノート』」では、「まとまった作品としてはカポーティ最後の作品である」と紹介されています。
遺作として知られる「叶えられた祈り」は未完であるため。
日本では、1983年に野崎孝さん(「ライ麦畑でつかまえて」の翻訳者)が、雑誌上で翻訳作品を発表していますが、書籍化されているのは、村上春樹さんの翻訳のみです。
山本容子さんの銅版画が収録された美しい装丁で、村上さんも「本作品はアメリカ本国においても、ランダム・ハウス社から独立した一冊の美しい本として出版された」と紹介しています。
あらすじ
「あるクリスマス」は「父さんと過ごした最初で最後のクリスマス」の物語です。(本の帯の紹介文)。
村上さんのあとがきを引用します。
トルーマン・カポーティはあるインタビューの中で、この『あるクリスマス』という作品は『クリスマスの思い出』(1956)の裏がえしなんだという意味のことを語っている。これは作者自身の言を待たずとも、両方の作品をお読みになった読者なら、まず最初にお気づきになられることであると思う。主人公の僕(バディー)、僕のおばあちゃん従姉妹のスック、犬のクイーニーという三人組も同じなら、時も同じクリスマスである。
ただし、『クリスマスの思い出』がバディー七歳の年のクリスマスであるのに対して、この『あるクリスマス』では彼は六歳である。つまりクロノジカルにバディーの足取りを追うならば、彼はこのニュー・オーリンズでのゴシック風の緊張にみちたクリスマスを経験した翌年に、『クリスマスの思い出』のスーパー・イノセントなクリスマスを迎えたということになる。(村上春樹「『あるクリスマスのためのノート』」)
もうお分かりだと思いますが、「あるクリスマス」は、ニュー・オーリンズで父親と一緒に過ごした6歳の少年の物語で、そのクリスマスはちょっとした緊張に満ちています。
「クリスマスの思い出」に比べると、いささかドラマチックで、小説としての完成度の高い作品ということができるかもしれませんね(なにしろ、作者のカポーティも30歳近く歳を取っているわけですから)。
なれそめ
カポーティには、二つの優れたクリスマス作品があります。
「クリスマスの思い出」(1956年)と「あるクリスマス」(1983年)です。
書かれた年代は異なりますが、舞台はほぼ同じで、「あるクリスマス」が6歳のときの、「クリスマスの思い出」が7歳のときのクリスマスということになります。
カポーティが、若かった頃に美しくて優しい「クリスマスの思い出」を書いて、その27年後にちょっとほろ苦い「あるクリスマス」を発表したということには、なにがしかの意味を持っていそうです。
このことについて、村上さんは「カポーティはその前年(1981年)に父を亡くしている。彼にとっては父の死はショックであったし、その哀しみが彼をもうひとつのクリスマス・ストーリーへと向かわせたのである(『あるクリスマス』のためのノート)」と指摘しています。
いずれにしても、「クリスマスの思い出」を読んだ人は、この「あるクリスマス」も読むべきだと思います。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
父は言った。「父さんのことは好きじゃないのかい」
父は言った。「父さんのことは好きじゃないのかい」「好きだよ」と僕は言った。でも正直なところ、スックとクイーニーと何人かのいとこたちと、それからベッドの枕もとに置いてある美しい母の写真を別にすれば、僕は愛というのがいったいどういうものなのか見当もつかなかった。(カポーティ「あるクリスマス」)
ある年のクリスマス、主人公の「僕(バディー)」は、別れて暮らしている父親と二人で過ごすことになります。
のどかな田舎町(アラバマ)で生まれ育ったバディーは、都会(ニュー・オーリンズ)で迎える父とのクリスマスを、決して楽しくは感じられません。
あたかも両親から見放されたように母親の実家に預けられて育ったバディーにとって、家族は一緒に暮らす「おばあちゃん従姉妹」たちであり、バディーの人生に「父親」なる家族は存在していなかったからです。
しかし、父はバディーを愛していました。
彼は彼なりの手段を講じて、自分の愛情をバディーへ伝えようとしていたのです。
「うん、気に入ったよ。でもお父さんは僕に何をくれるの?」父の顔からすっと笑みが消えた。
「サンタクロースの贈り物は気に入ったかい?」僕は父の顔を見てにっこりした。そこには温かい空気が流れた。でも僕は口を開いてその空気をぶち壊した。「うん、気に入ったよ。でもお父さんは僕に何をくれるの?」父の顔からすっと笑みが消えた。(カポーティ「あるクリスマス」)
深夜、クリスマス・ツリーの下へプレゼントを運ぶ父の姿を見たとき、バディーは、サンタクロースが実在しないということを知ってしまいます。
しかし、あくまでもサンタクロースの存在を信じたい(信じなければいけない)バディーにとって、プレゼントはあくまでも「サンタクロースからのプレゼント」でなければなりませんでした。
仲良しの老婆スックが教えてくれたサンタクロースの夢を、バディーには失うことができなかったからです。
そして、サンタクロースの夢を引き裂いた父親に対する憎悪は、「でもお父さんは何をくれるの?」という言葉となって、父との温かい空気をぶち壊したのです。
なあいいか、バディー。神様なんぞいないんだ! サンタクロースなんてのもいないんだよ。
お前を帰したりしないぞ。あんな気の触れたボロ家の気の触れた連中の中にお前を帰すわけにはいかないんだ。あいつらのおかげでなんてざまだよ、まったく。六歳、もうすぐ七歳だっていうのに、まだサンタクロースがどうこうなんて言ってる! まったくあいつらのせいだ。聖書を読むことと編み物することにしか能のない意地の悪いオールド・ミスと、飲んだくれの年寄りども。なあいいか、バディー。神様なんぞいないんだ! サンタクロースなんてのもいないんだよ。(カポーティ「あるクリスマス」)
歪んだ愛情と少年の孤独。
神様を否定され、サンタクロースを否定されることは、バディーにとって、まさしく仲良しスックを否定されることと同じことでした。
そして、スックを否定されるということは、自分自身をも否定されていることと、バディーにとっては同じことだったのです。
読書感想こらむ
「クリスマスの思い出」が、ほのぼのとして、居心地の良い物語であったとしたら、「あるクリスマス」は切なくてほろ苦い、少年の日のクリスマスの物語です。
全体に走る緊張感が、クライマックスで爆発し、少年は仲良し老婆の元へと戻っていきます。
おそらく、少年は父を愛していたに違いない。
だけど、父を愛していたからこそ、孤児同然に育てられた彼の境遇が、その父をも許すことができなかったのだと思います。
激しい憎悪と愛情がくるまりあった複雑な感情を抱えたまま、やがて少年は大人になりました。
少年の日の複雑な感情を抱えたままで。
まとめ
カポーティの「あるクリスマス」は、父と過ごしたクリスマスの思い出の物語。
切なくて、ほろ苦い、少年の日の短篇小説です。
「クリスマスの思い出」とセットで読みたい。
著者紹介
トルーマン・カポーティ(小説家)
1924年(大正13年)、アメリカ生まれ。
代表作に「ティファニーで朝食を」「冷血」など。
「あるクリスマス」発表時は59歳でした(翌年死去)。
村上春樹(小説家)
1949年(昭和24年)、京都府生まれ。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」など、翻訳作品も多い。
「あるクリスマス」刊行時は40歳だった。