いろいろの世界

北村紗衣「批評の教室」書評に有効なテクニック満載の入門書

北村紗衣「批評の教室」読了。

「読書なんて好きに読めばいい」というのは真実だけど、基本的なテクニックを知っているだけで、アウトプットが楽しくなることも、また確か。

自分の分析を明確に文章にするような批評ができるようになると、作品を他の人と楽しくシェアできるようになります。この本はそうした読者や視聴者に向けて、楽しむための方法としての批評のやり方を一から解説するものです。(北村紗衣「批評の教室」)

チョウのように読み、ハチのように書く

基本的なスタンスは「チョウのように読み、ハチのように書く」ということ。

本書では、批評に向けたステップとして「精読」「分析」「アウトプット」の三段階を紹介している。

「精読」とは、チョウのようにフットワーク軽く作品を読みこむことであり、「分析」とは、突っこむポイントを決めてハチのように刺すことだが、やはり、最も大切なことは、作品を徹底的に読みこむ「精読」だろう。

本書では、「精読」を名探偵シャーロック・ホームズになぞらえている。

虫眼鏡の代わりに辞書を用意し、知らない単語があったら、その都度辞書を引かなければならない、としている。

作品タイトルとか地名みたいなものまで、出てくる言葉の意味が全部わかっている、というのは読む上で最も基本的で、最も重要なことです。(略)一度読んだだけでよくわからないところや、一度見ただけではわからない場面があったら、もう一度そこに戻ってみましょう。(北村紗衣「批評の教室」)

小説でも映画でも音楽でも、「精読」は作品を理解する上で、どうしても欠かすことのできないテクニックなのだ。

作者から離れたところから、作品の批評が始まる

「精読」を進めていくと、「この作品における作者の意図は何か」ということが気になるようになるが、著者は「作者が作品をコントロールしているという幻想は広く存在しているのですが、冷静に考えるとそうではないことがわかります」と注意を促している。

基本的に作品は世に出た瞬間、作者の手を離れるものだと考えてください。異なった文化的背景を持ついろいろな受け手が作品を受容し、違う解釈を作り出すところに批評の醍醐味があります。解釈は受け手が自由に行って良いものであり、優れた批評は作者が考えてもいなかったような斬新な解釈を引き出すことができます。(北村紗衣「批評の教室」)

「作者の死」とは、作者から離れたところから、作品の批評が始まるということを意味している。

このとき注意すべきことは、「作者」と「語り手」とを、どの程度同一視していいかということ。

フィクションでは「語りが作者から遊離する」という指摘があり、基本的には、フィクションを語る場合は、作者と語り手を切り離して考えた方がいいということになるのだ。

それでは、作者と語り手が、ほぼ同一視されている私小説の場合はどうか。

作品ごとにニュアンスが変わってくるので一概には言えませんが、私はかなり個人的な内容を描いていると思われる作品であっても、一応は作者に近いがある程度虚構化された存在として「語り手」という登場人物を設定しています。個人的な体験であっても芸術家が作品に昇華させる時はある程度の物語として再構成が行われるはずなので、詩や歌、私小説的な作品の語り手は作者に近くとも微妙に違うキャラクターとして考えた方が処理しやすいことが多いでしょう。(北村紗衣「批評の教室」)

「精読」が終わったら、次に「分析」へ進んでいく。

本書では、このように、ひとつひとつのステップについて、具体的な事例を豊富に引用しながら、必要なテクニックを解説している。

誰かに何かを紹介したいと考えている人は、まず、こういった入門書で、自分の考え方を整理すると良いかもしれない。

もちろん、書評や読書感想文を書くときに、こうしたテクニックは活用される。

書評ブログを始めたい人にはお勧めのノウハウ本だ。

書名:批評の教室
著者:北村紗衣
発行:2021/9/10
出版社:ちくま新書

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。