日本文学の世界

川本三郎・青柳いづみこ「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」中央線沿線の文壇史

川本三郎・青柳いづみこ「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」あらすじと感想と考察

川本三郎·青柳いづみこ「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」読了。

本作「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」は、2007年8月に刊行された文芸資料集である。

阿佐ヶ谷文士たちの書いた阿佐ヶ谷会

書名に「アルバム」とあるので、「新潮文学アルバム」のような写真集かと思ったら、文士の写真は巻頭グラビアのみ。

中心になっているのは、阿佐ヶ谷文士の書いた阿佐ヶ谷に関する随筆である。

例えば、小田嶽夫の「阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ─中央沿線文壇地図」。

中央沿線の文壇風景について語るとなると、けっきょく「阿佐ヶ谷会」を中心として語るほかない。その「阿佐ヶ谷会」のもとは「阿佐ヶ谷将棋会」であった。(小田嶽夫「阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ」)

当時の文士たちは、本当に将棋が好きだったらしい。

僕達、阿佐ヶ谷に住んでいる友人達が中心になって、時時将棋の会を催すことがある。常連は井伏鱒二、小田嶽夫、上林暁、太宰治、木山捷平、古谷綱武、亀井勝一郎、中村地平君等である。(外村繫「将棋の話」)

外村繫の随筆でも一番始めに名前の上がる井伏鱒二にも、将棋に関する文章は多い。

このごろ私は、ヘボ将棋に夢中になりすぎて仕事を怠ける傾向がある。過日、新進作家中村地平は私にこう云った。「われわれは、今何をいちばんの楽しみにして生きているのだろう。この命題のもとに友人数名といろいろ検討してみたが、それは将棋ではないかという結論に到達した」(井伏鱒二「縁台将棋」)

その井伏鱒二は、将棋を指していても、文学の話を忘れなかったという。

ところが詰将棋にこっている間に、私は悪癖が出たものらしかった。ある時、井伏氏とやっていた時、「君は八段の真似をするね。文章でもポーズで書く人があるね」と言われた。(木山捷平「阿佐ヶ谷将棋会(文壇交友抄)より」)

「君は八段の真似をするね。文章でもポーズで書く人があるね」という皮肉がおかしい。

それにしても、阿佐ヶ谷会の文士たちは、実によく阿佐ヶ谷会について書いた。

阿佐ヶ谷会について書くということは、阿佐ヶ谷界隈に住んでいる文士たちについて書く、ということでもある。

外村君のはじめの奥さんが亡くなったのは、あれは昭和二十三年のくれのことであったか、わたしは訃報に接して、彼の家にかけつけるなり、彼を抱いて、泣いた。その同じ年の五月にやっぱり妻を亡くしているわたくしとして泣かざるを得なかったのであらろうが、ただそれだけではないものもあった。(青柳瑞穂「外村君の横町」)

「飲みにケーション」という言葉も死語化しつつあるが、当時の文士たちは、酒の席で友好を温めた。

濃密な人間関係が、昭和初期の文学に影響を与えたことに間違いはないだろう。

飲み会の名を借りた文士たちの一大ネットワーク

阿佐ヶ谷会のメンバーには、私小説作家が多かった。

酒を飲まない瀧井孝作が阿佐ヶ谷会に顔を見せたということと、彼が生粋の私小説作家であったということと、無関係ではないだろう。

瀧井さんは昭和二十五年一月、「改造文藝」に小説「伐り禿山」を発表した。久しぶりの小説である。知合の釣竿屋と甲州境いの南秋川谷へ山女魚釣りにゆき、山家に一泊して、翌日、甲州路の峠を歩いて、中央線、上野原まで帰る紀行文のような小説である。(「阿佐ヶ谷会の思い出など(島村俊正『清流譜』より」)

この小説に事件は何もないが、釣れない山女魚が軸になって、貧しい伐り禿山の戦後の荒廃が、象徴的な影を帯びて描かれている。

そして、こうした私小説作家の先頭に立って活躍している文士が、阿佐ヶ谷会のリーダー・井伏鱒二だった。

このウソのようなホント、ホントのようなウソのまざり合いを、私は井伏文学の中でもこよなく愛している。じっさいは、ウソもホントもあるわけではない。それは見かけだけのもの、あるのは「真実」だけだ。(青柳瑞穂「井伏鱒二の眼」)

この青柳瑞穂の「ウソもホントもあるわけではない。それは見かけだけのもの、あるのは「真実」だけだ」という文章は、まさしく井伏文学を端的に表現したものだろう。

そして、そこに共鳴する作家たちの集まりが「阿佐ヶ谷会」だったのだ。

阿佐ヶ谷会の解散は、昭和47年11月である。

「この十一月二十五日の夜、新宿の中国料理屋で、長い歴史を持つ中央線沿線の文士たちの飲み会阿佐ヶ谷会解散の会合が持たれた」と、浅見淵は書いている。

当夜の出席者は五十人。このうち、亀井、木山、青柳君の三未亡人、田畑、外村、伊藤君の三長男が出席。また、物故会員の友人たちも呼んだが、尾崎一雄、庄野潤三、石原八束、尾崎秀樹などの顔が見えた。つまりは、阿佐ヶ谷会は青春の饗宴だった。(浅見淵「阿佐ヶ谷会の解散」)

物故会員の親族が出席するあたり、阿佐ヶ谷会は、もはや、ただの飲み会ではない。

阿佐ヶ谷会は、飲み会の名を借りた文士たちの、一大ネットワークだったのだ。

互いに励まし合い、切磋琢磨し合った文学者たちの青春。

阿佐ヶ谷会の物語は、昭和を生きた文士たちの、もう一つの文壇史と言えるのかもしれない。

書名:「阿佐ヶ谷会」文学アルバム
著者:川本三郎·青柳いづみこ
発行:2007/08/17
出版社:幻戯書房

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。