村上春樹の世界

村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」『キャッチャー・イン・ザ・ライ』完全解説

村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」あらすじと感想と考察

村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」読了。

本書「サリンジャー戦記」は、村上春樹と柴田元幸の対話形式による「キャッチャー」論である。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を語り尽くす

サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、村上春樹が翻訳出版したのは、2003年4月のこと。

本書『サリンジャー戦記』は、『キャッチャー』を新訳した村上さんが、翻訳の協力者でもあった柴田さんと、『キャッチャー』について語り尽くすという構成になっている。

簡単に言うと、本書は、村上春樹の『キャッチャー』観を一冊にまとめたものということになる。

だから、村上春樹がどのような思想を持って『キャッチャー』を翻訳したかということは、本書を読むと大体分かるようになっている。

なにしろ、一つの翻訳作品について一冊全部使って語り尽くしているのだから、かなり掘り下げられた議論があったと考えていい。

ポイントは、村上さんはサリンジャーの『キャッチャー』を、一人の男の子の内面的葛藤の物語としてとらえている、ということである。

対社会ではなく。もちろんそれはあるわけなんだけど、それよりはむしろ、自分自身の意識状況とのせめぎあいというほうに、重みが込められているんじゃないか、という気がしたんですよ。(村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」)

野崎孝が『ライ麦畑でつかまえて』(1964)を訳した頃と比べると、サリンジャーという一人の作家や諸作品に対する研究も相当に進んでいる。

『キャッチャー』という作品に対する受けとめや理解に変化があったとしても、それは、むしろ必然ということなのだろう。

そういう意味では、『キャッチャー』を読むと、これは彼自身による自己のトラウマの分析と、その治療の道を見つけるための自助的な試みなんだな、というふうに僕は捉えるわけです。彼はストーリー・テリングというものを通して、その作業をとても有効に行っている……(村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」)

サリンジャーは、第二次世界大戦での悲惨な体験による神経衰弱に悩まされていた。

『キャッチャー』は、そんな神経症的なサリンジャーが自己投影された作品だと、村上さんは考えているのだが、一般的にサリンジャー作品の分析では、こうした伝記的批評が、殊に好まれているらしい。

いくらでも深読みできる作品というのは、読者に自由な解釈を与えてくれるので、そういう意味で、語り尽くしても語り尽くせないのが、この『キャッチャー』という作品なのだろう。

そういう文脈で、知的な人に嫌われるところがあります。知的というか、論理的な考え方、整合的な読み方をする人に、ということです。『キャッチャー』が留保なく好きだ、なんていう文芸評論家はこの世間におそらくほとんど一人もいないんじゃないかな。きちんと読み込めば、本当の意味で優れて知的な作品だし、深く示唆するところも多いはずだと、僕なんかは思うんですけどね。(村上春樹・柴田元幸「サリンジャー戦記」)

割り切れなさこそが、『キャッチャー』の持つ本来的な魅力なのかもしれない。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説

本書では、『キャッチャー』のテーマについて、村上春樹が持論を展開する一方、後半では、翻訳作業の細部について、かなり突っ込んだ話し合いが行われている。

これは、実際に翻訳に携わる人たちにとっては、かなり興味深い内容だろうけれど、一般の読者にとっては、極度にマニアックな世界ということになる。

そもそも、村上春樹と柴田元幸の二人が、『キャッチャー』の翻訳について話し合うという企画自体が、相当にマニアックなものなので、これもまた必然の成り行きということになるのだが。

翻訳小説を読むだけでは飽き足らず、翻訳作業そのものに興味があるという人は、読んで損がない本だと思う。

あと、契約上の問題で、『キャッチャー』の単行本に収録することのできなかった、訳者解説が収録されていて、意外と、この部分が、この本の主役だったのではないだろうか。

初めて『キャッチャー』を読む人に必要な情報が紹介されているので、村上春樹訳『キャッチャー』と併せて読みたい。

書名:サリンジャー戦記(翻訳夜話2)
著者:村上春樹・柴田元幸
発行:2003/7/20
出版社:文春新書

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。