阿部筲人「俳句──四合目からの出発」読了。
本書は、俳誌『好日』に連載され、1967年(昭和42年)に単行本として刊行された俳句論である。
例句もひどいが、解説もひどい
本書『俳句──四合目からの出発』は、作句の技術論に徹した俳句解説書である。
素人のダメな句を並べて、これでもかというくらいに攻撃していることが特徴で、俳句NG集と言っていい。
それにしても、ダメな俳句をわざわざ集めて、理論的にやっつけるという発想がすごい。
「寺若き女物干し柿若葉」「海水着つけて泳げぬ姉妹(あねいもと)」作者は大まじめに皮肉、矛盾を取り上げました。後句下五は「姉妹」と深い関心を示しますが、読者にさっぱり無関係のどこの馬の骨とも知れません。(阿部筲人『俳句──四合目からの出発』)
そんなことを言い始めたら、俳句に登場する多くの人物像は、「読者にさっぱり無関係のどこの馬の骨とも知れません」になってしまうのではないだろうか。
【孫まご俳句】孫俳句は全く駄目といって宜しい。深い人間性においてとらえられることはなく、目を細めて「お、お」と眺めて、いい気になっているに過ぎません。個人関係を露出するに加えて、作者が孫に甘えている甘さが、だらだら流れ出します。(阿部筲人『俳句──四合目からの出発』)
孫を詠んだ俳句は全部駄目と一刀両断。
ここまで極端だと、読み物として面白いという気持ちになってくるから不思議だ。
丁寧な俳句ガイドというよりも、偏狭なお爺さんに絡まれているに等しい後味の悪さがある。
「ツリー燦ビール酌ぐ娘の処女めきて」ことにいやらしいのは最後のツリーの句で、ビールを飲みながら、女が処女か処女でないかに神経を働かせて、処女でないことを心中で断定しているから、逆に処女の風情があると感心しています。涎を垂らしたいやらしい骨頂であります。(阿部筲人『俳句──四合目からの出発』)
例句もひどいが、解説もひどい。
こんな俳句を、わざわざ採りあげるのもどうかと思うが、そこに長々と解説だか愚痴だか分からない文章を添えているのが謎。
「金魚屋の金魚は人の手に馴れて」こんな人懐っこい金魚がありますか。(阿部筲人『俳句──四合目からの出発』)
僕の俳句に添削指導をしてくれた先生の解説は、非常に適切だった。
駄目な俳句には、朱書で一言「つまらない」とコメントが付いた。
句頭に朱書のバツ印が付くだけのものも多かった。
そして、僅かばかりの可能性がありそうな句には、丁寧に校正の例を示してくれた。
あれが、実践的な俳句指導というものだったのだろう。
女性の肉体を詠んだ「出歯亀俳句」
本書を読んで感じたことは、駄句を1000句も読む時間があったら、秀句を10句読んだ方が、よほど勉強になる、ということである。
本書を読んで、本気で「勉強になる」と思っているようなら、「四合目」には程遠いということなのではないだろうか。
そもそも、俳句の世界を富士登山に例えて「四合目こそが初心者からの脱出」と強調しているあたりも違和感がある。
俳句なんて楽しければいい、などという論理は、本書の著者には通用しないのだろう。
もっとも、あまりにくだらないので、バカバカしくて笑えるといった要素はある。
殊に、女性の肉体を詠んだ俳句が「出歯亀俳句」と称して徹底的に攻撃されているところは圧巻。
なお「炎天の乳房必死に喰らひつけり」と無鉄砲に深刻振り、「海水着の乳房香を生み吾が触れり」と匂いをかいだり、下五は手を出してさわったような、嫌らしい心情暴露を犯します。このような「オッパイマニア」の俳句が氾濫しますが、こういう変態心理を心理学では「乳房フェティッシュ」と言います。(阿部筲人『俳句──四合目からの出発』)
例句が最悪なのはともかくとして、俳句と関係ない性癖まで攻撃材料となっている。
なまじ、「おそるべき君等の乳房夏来る」(西東三鬼)の名句があるので、素人が惑わされてしまうことは確かだろう。
三鬼の作品は、敗戦直後の日本における女性の社会進出を象徴する素材が「おそるべき君等の乳房」だった。
駄句を散々読まされた後に三鬼の句を読むと、心が洗われるような気がする(笑)
俳句は、やはり良質の作品を読みたい。
そう思った。
書名:俳句──四合目からの出発
著者:阿部筲人
発行:1984/3/10
出版社:講談社学術文庫