日本文学の世界

井伏鱒二「復員者の噂」終戦直後の混乱を生きる庶民の悲喜こもごも

井伏鱒二「復員者の噂」あらすじと感想と考察

井伏鱒二「復員者の噂」読了。

本作「復員者の噂」は、1948年(昭和23年)6月、「社会」に発表された短編小説である。

この年、著者は50歳だった。

作品集には収録されていない。

終戦直後の混乱の中で生きる庶民の姿を温かい視線で描く

井伏鱒二自選全集を全巻揃いで手に入れた。

早速、帯が破れてしまわないよう、本の箱に帯の上からグラフィン紙をかけた。

こうしておくと、外函を日焼けから保護することもできて安心である。

全集を通読する機会は滅多にないと思うが、記念に何かひとつ読んでみようと思って、手にしたのが「第三巻」だった。

目次を眺めてから「復員者の噂」という作品を読み始める。

「復員者の噂」を選んだのは、終戦直後の話で面白そうだったことと、かつて聞いたことのない題名だったこと、そして、短い作品だったことによる。

作品の舞台である<当村大字霞が森>では、本年一月十五日をもって復員が全部完了した。

この部落では、満州事変が始まって以来、三十一名の壮丁が徴発され、敗戦までに無事に復員したのは十名あまりだった。

そのうち、妻帯者であった者は八名だが、戦死者の細君の中には、あらぬことを喋って回る者もいた。

例えば、終戦直後の八月十六日に入営した<木下君>と<西君>などは、従来の慣例に従って、村人たちに見送られて出発したが、その翌日に帰ってきた。

たった一日いなかっただけなのに、彼らの細君は、まるで久しぶりに帰ってきた復員者を迎えるように喜んだという。

復員者のうちで、一番先に帰った作田直吉は、バスが自宅の前を通り過ぎるときに「お母さん」と母親を呼んだ。

直吉の嫁は、オツヤといったが、父親のいない間に息子を甘やかし、尋常二年生になる今でも、昼食の前後に自分の乳を飲ませていた。

復員者は女房と顔を見合せて、それから抱かれている子供の横顔を見た。紅白の運動帽をかぶり、目をつぶって一心に乳房を吸っていたが、薄目をあけて復員者を見た。「オツヤ、その子は何か」と復員者は不気味そうに云った。(井伏鱒二「復員者の噂」)

父親が復員して、その子どもは、母親の乳を吸うことを禁止された。

また、水車屋の聟の宙さんは、敗戦になる三年前に戦死の公報が来て、身分不相応と言われるほど大きな墓を作ってあった。

宙さんの細君のトキノは、隣村の九郎さんと再婚して、一緒に暮らしていたが、そこにひょっこりと宙さんが帰ってきた。

「ああ、うまい。何年ぶりで、この水を飲んだろう」宙さんはまだ頭巾をかぶっていたが、その聞き覚えのある声でトキノさんが気がついた。「あんたは、もしかしたら、うちの宙さんでしょうが」「そうだ、儂だ」宙さんは大儀そうに頭巾や外套をぬぎ、ゆっくりと上がり框に腰をかけた。(井伏鱒二「復員者の噂」)

再婚相手の九郎さんは、そうっと自分の生家に帰っていったという。

どの話も、終戦直後の混乱の中で生きる庶民の姿が、温かい視線から描かれている。

やっぱり、井伏さんの作品は面白いなあと思った。

庄野潤三「『丑寅爺さん』と詩碑除幕式」

ところで、「復員者の噂」を読み終えた後で、何気なく月報を見ると、思いがけず、庄野さんの書いた文章が載っていた。

うれしい偶然である。

そして、そこには、筑摩の全集から、何か井伏さんの作品を読んでみようと思って、最初に「復員者の噂」を読んだ、と書いてあるからびっくりした。

第四巻「小説四」の「復員者の噂」を先ず読んでみた。(略)「復員者の噂」は、巻末の「解題」によると、二十三年六月に雑誌に発表されてから単行本に一度も収録されなかったというのだが、勿体ない。(庄野潤三「『丑寅爺さん』と詩碑除幕式」)

「勿体ない」という感想には、激しく同感である。

思いがけないところで、庄野さんの文章を読むことができた。

これも井伏さんのおかげと言っていいかもしれない。

作品名:復員者の噂
書名:井伏鱒二自選全集(第三巻)
著者:井伏鱒二
発行:1985/12/15
出版社:新潮社

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。