日本文学の世界

高橋丁未子「羊のレストラン」食べ物から読み解く村上春樹の世界

高橋丁未子「羊のレストラン(村上春樹の食卓)」読了。

タイトルのとおり、作品中に登場する食べ物を切り口にして、村上春樹の文学世界を読み解くことを目的としているが、さほど深い文学論の本ではない。

村上春樹のファンが、村上春樹の小説をネタにして、グルメの話で盛り上がっているといった感じの本だ。

専門的な解説を求めている人には向かないが、村上春樹の小説世界に浸りたい人にはお勧めできるだろう。

一見、村上春樹の小説に通じているようだが、本書では、同じ作品についての考察が、何度も繰り返し登場する(牛が食べ物を反芻しているみたいに)。

1986年当時、村上春樹は、四つの長編を発表していて、最新作が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、大ベストセラーとなる『ノルウェイの森』が刊行されるのは、翌1987年のことだ。

それでも、短篇集では『パン屋再襲撃』(1986)までの5作品が刊行されているから、掘り下げようと思えば、その作品数は決して少ないものではなかったように思う。

加えて、「村上春樹の食卓」というコンセプトでありながら、後半は食べ物の匂いがかなり希薄になっている。

あまり期待が大きいと、満腹にならないばかりか、消化不良を起こすかもしれない。

本書の特徴は、女性である著者が、女性の目線から村上春樹の小説世界を考察しているところにある。

十年たっても、<寝るべきだったんだろうか>なんて、<僕>のしつこい、思い込みにびっくりするが、そりゃあ<わからない>のは当然である。<彼女>は「寝ましょう」なんてひとことも言ってはいない。(略)あるニュアンスは二人の間にあることはあるが、<僕>の方だけが寝たかったのに違いないのだ。(「ハンバーグ・ステーキ—人妻の手料理」)

これは、短篇小説『バート・バカラックはお好き?』を題材にした考察だが、文学論というよりも一読者のツッコミという感じである。

こういうツッコミが、本書では随所に登場していて、中二病的に青くさい小説を書いていた1980年代の村上春樹の特徴を、見事に浮き立たせている。

1980年代の読者は、こうした中二病的な妄想までひっくるめて、村上春樹が好きだったということなのだろう。

短編『プールサイド』にも、同様のツッコミが綴られていて、「このお坊っちゃんブリッコはどうだろう。こういうのをテクニック第一主義の紋切り型セックスというのかもしれない。無気味だ」と、一刀両断に切り捨てられている。

やがて、大作家と呼ばれるようになる村上春樹だって、1980年代には、そんなものだったのだ。

レイモンド・チャンドラーと村上春樹

本書では、著者以外の執筆者による文学的コラムも収録されていて、これが意外に充実している。

特に、レイモンド・チャンドラーとの比較論で村上文学を考察している「読者という<背後>—村上春樹の読まれ方」(福富忠和)は楽しく読ませていただいた。

どうせ「アメリカ文学」をやるなら、もっとスノビッシュに徹底すればいいのに。それが僕らの当初の印象だったと思う。それよりも、なによりも、デビュー作『風の歌を聴け』に色濃くあらわれていた、全共闘世代特有の「喪失感」が少し鼻についた。もちろんそこには「ろくに何も失わなかったくせに、喪失感ばかりを強調する」ような、ある種の集団に対する嫌悪が含まれているのだが——。(福富忠和「読者という<背後>—村上春樹の読まれ方」)

「ろくに何も失わなかったくせに、喪失感ばかりを強調する」は、村上春樹の作品を読むときには、重要な視点だと思う。

そして、レイモンド・チャンドラーの引用。

チャンドラーを「ウィットの作家」として読みはじめた一番始めの世代が、おそらく村上春樹をヒーロー化した最初の人間だろう。村上の作品にハートウォームなものだけを見ている人間は、ただデリカシーがないだけだ。(福富忠和「読者という<背後>—村上春樹の読まれ方」)

このコラムで著者は「チャンドラーの書く二流の人情や二流のストーリーを、一流のウィットが作品を程度の高いものに仕上げている」と指摘している。

ウィットで小説を読ませる小説家——それが、1980年代における、村上春樹という作家の評価だったのかもしれない。

そして、そうした評価から脱皮するために、やがて村上春樹は、村上春樹的世界からの脱出を試みていくことになるのだ。

書名:羊のレストラン(村上春樹の食卓)
著者:高橋丁未子
発行:1986/7/5
出版社:CBS・ソニー出版

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。