外国文学の世界

フィッツジェラルド「バビロンに帰る」破滅から再生することの難しさ

フィッツジェラルド「バビロンに帰る」あらすじと感想と考察

F・スコット・フィッツジェラルド「バビロンに帰る」読了。

本作「バビロンに帰る」は、1931年(昭和6年)2月『サタデー・イヴニング・ポスト』に発表された短編小説である。

原題は「Babylon Revisited」(「バビロン再訪」と訳されることも多い)。

この年、著者は35歳だった。

作品集としては、1935年(昭和10年)に刊行された『起床時刻の消灯合図(Taps at Reveille)』に収録されている。

エリザベス・テイラー主演の映画『雨の朝巴里に死す(The Last Time I Saw Paris)』(1954)の原作小説となった。

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やりたい放題だった過去を清算することの難しさ

はじめに、<バビロン>というのは、メソポタミア地方の古代都市の名前で、本作では、かつて繁栄を誇り、やがて消滅した街の象徴として用いられている。

本作の舞台は1930年代のパリだが、ヘンリー・ジェームズの長編小説『死者たち』(1903)の中にも、「パリ、この広大でキラキラと輝くバビロン」という表現があることから、パリをバビロンに喩えることは、当時として珍しくなかったのかもしれない。

物語の筋は簡単で、プラハで仕事をしている35歳の男<チャーリー>が、パリの義姉宅で預かってもらっている9歳の一人娘<オノリア>を引き取るため、久しぶりにパリを訪れたというストーリーだ。

もっとも、チャーリーがオノリアを引き取ることは簡単ではない。

1920年代後半、パリで暮らしていたチャーリーには、好景気に乗ってあまりに金を儲けすぎたために、仲間たちと放埓な生活をして騒ぎまくった、という過去がある。

さらに、義姉<マリオン>は、自分の妹であり、チャーリーの妻である<ヘレン>が亡くなったのは、チャーリーのせいだと考えていた。

事実、その2月の夜、チャーリーは、酒場で妻が若い青年にキスをしたことに激怒して、一人で家に帰り、鍵を閉めてしまっていた。

後から帰宅したヘレンは、家に入ることができず、吹雪の中、びしょ濡れになってマリオンの家までたどり着いたという。

ヘレンの死は心臓病が原因だったが、マリオンは、彼女がチャーリーでせいで「ハート・トラブル」を起こしたのだと信じている。

それでも、チャーリーが深酒をやめ、仕事も順調にいっていることから、オノリアを引き渡す話は前向きに進み始めていたが、土壇場でチャーリーの昔仲間である<ダンカン>と<ロレーン>が酔って現れ、話をぶち壊しにしてしまう。

チャーリーは、やり放題だった過去を清算することは簡単ではないということに、改めて気付かされるのだった。

妻と娘と信頼を失った男の再生物語

義姉との交渉が決裂した後、チャーリーは一人でリッツ・ホテルのバーで飲む。

「いや、もう結構だ」と彼は別のウェイターに向かって言った。「勘定してくれ」(F・スコット・フィッツジェラルド「バビロンに帰る」村上春樹・訳)

やりきれない気持ちを抱えて「勘定してくれ」と言ったチャーリーの言葉は、「昔のツケを勘定してくれないか?」という意味にも受け取れる。

つまり、簡単に清算することが難しいくらい、チャーリーの(人生における)負債は大きなものだったということだ。

交渉がまとまりそうになったところで現れるダンカンとロレーンは、もはや「過去の亡霊」と言っていい。

しかし、どれも間違いなく、昔のチャーリーが作り上げたものであり、過去を清算することはチャーリー自身にしかできない。

本作「バビロンに帰る」は、妻と娘と信頼を失った男の再生物語なのだが、人生における再生は決して簡単ではないという教訓を残して終わる。

この辺りのほろ苦さが、フィッツジェラルドという作家の大きな魅力と言えるだろうか。

妻を雪の中に閉め出していた男たち。一九二九年の雪は本物の雪には見えなかったからだ。もしそれが雪であることを望まないなら、君はただ金を払えばいいのだ。(F・スコット・フィッツジェラルド「バビロンに帰る」村上春樹・訳)

1929年(昭和4年)というのは、ブラック・サーズデーから始まったウォール街の大暴落によって、世界中が恐慌に陥った年である。

「1929年の雪」は、世界恐慌の比喩であり、つまり「本物の雪」ではなかった。

しかし、世界中に恐慌を回避できるだけの男は、もうどこにもいなかったのだ。

久しぶりに訪れるパリは、かつて栄華を誇ったパリとはすっかりと変わって、静かすぎる街になっていた。

いろいろなものは、大恐慌と一緒に失われてしまったのだ。

しかし、チャーリーが失ったものは、大恐慌の仕業によるものではなかった。

「ガラでずいぶんご損をなさすったとか」「したさ」そして顔をしかめながらこうつけ加えた。「でも僕は、自分の求めていたものをすべて好況の中で無くしたんだ」(F・スコット・フィッツジェラルド「バビロンに帰る」村上春樹・訳)

「自分の求めていたものをすべて好況の中で無くしたんだ」という言葉の中に、チャーリーの悔悟があり、反省がある。

彼の再生は、今、始まったばかりだ。

ちなみに、「ガラでずいぶんご損をなさすったとか」の「ガラ」とは、野崎孝の訳によると「暴落」のことらしい(普通分かるのかな?)

作品名:バビロンに帰る
著者:F・スコット・フィッツジェラルド
書名:バビロンに帰る
訳者:村上春樹
発行:1999/09/18
出版社:中公文庫

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やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。