外国文学の世界

映画「愚かなり我が心」原作者サリンジャーが激怒した理由

映画「愚かなり我が心」原作者サリンジャーが激怒した理由

映画「愚かなり我が心」観了。

本作「愚かなり我が心」は、1949年に公開されたアメリカ映画である。

原作は、J・D・サリンジャー短編小説「コネティカットのひょこひょこおじさん」(1948)。

原作小説「コネティカットのひょこひょこおじさん」

映画『愚かなり我が心』を観た原作者のサリンジャーは激怒したという。

短編小説「コネティカットのひょこひょこおじさん」は、映画化された最初で最後のサリンジャー作品となった。

サリンジャーは、なぜ、それほど激怒したのか?

映画のストーリーが、原作とは大きく変更されていたからである。

原作小説は、なぜ、大きく変更されてしまったのか?

変更しなければならないほど、小説のストーリーは難解だったからである。

映画原作の「コネティカットのひょこひょこおじさん」は、作品集『ナイン・ストーリーズ』に収録されている短編小説である。

独身女性の<メアリ・ジェーン>が、大学時代のルームメイト<エロイーズ>の家を訪ねる。

エロイーズには、<ルー>という夫がいて、<ラモーナ>という幼い娘がいる。

<ジミー・ジメリーノ>というイマジナリー・フレンドを紹介するラモーナは、どこか正常ではない雰囲気を漂わせている。

一方、母親のエロイーズも、かつて恋人だった男性<ウォルト・グラース>を想い出して泣く。

ウォルトは、エロイーズが足を挫いたときにも「かわいそうなひょこひょこおじさん」とジョークで慰めてくれる優しい男性だったが、戦地で事故死していた。

眠っているラモーナを見て、エロイーズは「かわいそうなひょこひょこおじさん」とつぶやき、また泣いた。

「ソープオペラ」と非難された映画『愚かなり我が心』

この作品のテーマは、満たされぬ家庭生活を過ごしているエロイーズの喪失感であり、母親同様に孤独を抱えて生きている幼い少女ラモーナの喪失感でもある。

元カレのウォルトも、夫のルーも、会話以外には登場していないが、見えない存在の彼らこそが、この作品の重要な鍵となっている。

しかるに、映画『愚かなり我が心』では、ルーやウォルトが登場して、原作では見えなかった部分を鮮明に映像化したばかりか、原作にはまったく登場していないエロイーズの両親まで登場させた。

サリンジャーの小説は、必要な部分を省略しているのに、映画では、省略した部分を、わざわざ補ってくれている。

しかも、プロットを補強しているうちに、ストーリーにも修正が加えられている。

ルーは、ジェーンの元カレとなっていて、エロイーズはウォルトを失った悲しみの末に、ジェーンからルーを寝取って結婚したことになっている。

そのうえ、エロイーズの産んだラモーナは、ルーではなく、ウォルトの子どもだという。

さらに、ルーとエロイーズは離婚し、ルーは元カノのジェーンとヨリを戻すというオチまで付いている。

「ソープオペラ」と非難されても反論のしようがない四角関係のメロドラマで、原作小説とはまったく異なったストーリーの三文芝居である。

サリンジャーでなくとも激怒しているところだろう。

何より、映画『愚かなり我が心』最大の過ちは、原作小説のテーマを、まったく再現できていないところだと、僕は思う。

原作者のサリンジャーは、この小説で何を伝えたかったのか。

それを再現できなければ、原作小説を、そもそも映画化する意味はない。

ということで、この映画は、原作小説とはまったく別物の作品だったけれど、「サリンジャー作品の映画化」ということにこだわらなければ、それほどひどい映画でもないんじゃないだろうか。

名作『カサブランカ』(1942)の系譜にある恋愛ドラマとして観れば、それなりに面白い映画だと思ったくらいである。

主題歌の「マイ・フーリッシュ・ハート」は、やっぱり名曲。

ビル・エヴァンスの名盤『ワルツ・フォー・デビイ』(1961)を聴きたくなった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。