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モーム「お菓子とビール」人妻との切ないラブ・ロマンスの甘い思い出

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サマセット・モーム「お菓子とビール」読了。

「お菓子とビール」は、1930年(昭和5年)に刊行された、モーム円熟期(56歳だった)の長編小説である。

ベースになっているのは、語り手である「僕」が、作家仲間のアルロイ・キアから、故人となった先輩作家エドワード・ドリッフィールドの伝記作成に協力してほしいと依頼されるストーリーで、アルロイ・キアは、未亡人となったミセス・ドリッフィールドと一緒に、ドリッフィールドの昔のエピソードを提供するよう「僕」に求める。

偉大なる作家エドワード・ドリッフィールドの無名時代を知る者は、既に少なかったが、まさしく「僕」は、ボヘミアン的生活を送っていた頃のドリッフィールドをよく知る人間の一人だった。

物語の大部分は、「僕」が昔のドリッフィールドとの交流を回想する場面なのだが、当時、ドリッフィールドは最初の妻であるロウジーと結婚していて、「僕」の回想のほとんどは、人妻であるロウジーについての思い出となっている。

美しくて、魅力的な肉体を持つロウジーは、多くの男たちから愛されていて、必然的に「僕」とも秘密の関係を持つようになるが、「僕」は彼女の愛を独占することはできない。

自由に生きることを好んだ彼女を縛り付けることなど、誰にも不可能だったのだ。

やがて、ロウジーを失ったドリッフィールドは、文壇で活躍するようになり、二度目の結婚をするが、その過去を知る者はほとんどいなかった。

ドリッフィールド未亡人から、ドリッフィールドの過去のエピソードを提供するよう求められた「僕」は、そんな昔のことを思い出している。

「お菓子とビール」とは「人生を楽しくするもの」

題名になっている「お菓子とビール」という句は、シェイクスピアの『十二夜』などにある句で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」という意味合いである。したがってそれはロウジー、あるいは彼女がもたらす楽しいものを指すと考えられる。(行方昭夫「解説」)

訳者である行方さんの解説によると、タイトルの「お菓子とビール」には「人生を楽しくするもの」という意味があるらしい。

この小説では、多くの男たちに満足感を与えてくれた魅惑の女性ロウジーの存在が、まさしく「お菓子のビール」のようなものであって、それは、物語の語り手である「僕」にとっても、もちろん同じことであった。

大きなテーマとしては、エドワード・ドリッフィールドという文豪の生涯を辿るものとして示されているが、真のテーマは浮気な人妻ロウジーと「僕」との切ないラブ・ロマンスだと言えるだろう。

決して成就することのない人妻との恋に溺れた若者の幸福と呻きが、この小説の中では共存している。

自由奔放に生きるロウジーの姿は、トルーマン・カポーティーが『ティファニーで朝食を』で描いた、ホリー・ゴライトリーの姿に重なる部分があったように思う。

ロウジーは手をあげて、僕の頬をそっと撫でた。

ロウジーは手をあげて、僕の頬をそっと撫でた。このときの僕の態度は自分でもよく分からない。自分ならこのような場合に振る舞うだろうと想像したのとまったく違っていた。すすり泣きが締め付けられるように喉から洩れた。恥ずかしかったからか、寂しかったからか、それとも欲望が強かったからか、泣き出してしまった。そういう自分が恥ずかしくて抑えようとしたが、出来なかった。涙が目から溢れ出て、頬を伝って流れた。ロウジーはそれを見て、はっと息を飲んだ。「あら、どうしたの? ね、泣かないで! 泣かないでちょうだい」(サマセット・モーム「お菓子とビール」)

物語の中盤以降は、「僕」とロウジーとのエピソードが中心となっていくが、村上春樹の『ノルウェイの森』を思わせる印象を持った。

情緒的な「僕」の回想の合間に、少し距離を置いた自己分析の文章が挟まったりしているところなどは、いかにも『ノルウェイの森』っぽい。

村上春樹の源流のひとつとして、サマセット・モームがあるとしたら、それは十分に納得できる話だと思う(実際、村上春樹の作品の中にはサマセット・モームのことが頻繁に登場しているので)。

自分は、この作品を読んで、サマセット・モームという作家が好きになった。

これから、モームの作品をもっと読んでみたいと思う。

書名:お菓子とビール
著者:サマセット・モーム
訳者:行方昭夫
発行:2011/7/15
出版社:岩波文庫

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。