日本文学の世界

若山牧水「北海道行脚日記」大正15年北海道周遊の紀行散文

若山牧水「北海道行脚日記」あらすじと感想と考察

若山牧水「北海道行脚日記」読了。

本作「北海道行脚日記」は、1926年(大正15年)9月から11月にかけて、喜志子夫人を伴って道内旅行をした際の紀行文である。

この年、著者は41歳だった。

北海道周遊一か月半の紀行

若山牧水は歌人ではあるけれど、紀行散文にも良いものが多い。

さすが「旅と酒の歌人」と謳われただけのことはある。

旅先で酒にありつき、紀行文を書いて酒代をせしめる。

牧水にとって、すべて酒が原動力だった。

旭川の<斉藤瀏>に宛てた手紙からも、牧水の酒飲みぶりが伝わってくる。

なお、お言葉に甘え、御宅に御厄介になりましてもよろしゅうございましょうか、甚だ厄介なる人間でございますが、酒を毎日一升平均いただきます。これは朝、大きな徳利のまま小生の側にいただきおき、これを適宜に一日中に配分して頂戴致します、おさかなは香の物かトマト(生のまま盬にて食べます)かありますれば充分でございます、食事の時もたいていそうしたものにて結構でございます。(若山牧水、斉藤瀏宛て書簡、1926/09/28)

そんな準備の末に敢行された北海道周遊の旅の記録が、本作「北海道行脚日記」である。

9月21日に自宅(静岡県沼津)を発って、東京、福島、仙台、花巻と、東北地方を北上するうちに、盛岡を通り過ぎる。

駅を出ると汽車は荒漠たる高原の中を走る。中に石川啄木によって聞えている好摩が原渋民村もあるのである。昨夜誰かに注意されていたので気をつけていると、まさしく北上川の対岸に彼啄木の碑の立っているのが眼に見えた。(若山牧水「北海道行脚日記」)

1912年(明治45年)4月、石川啄木臨終の際に、身内の他に立ち合っていたのは、この若山牧水だけだったという。

現在、盛岡には「石川啄木・若山牧水 友情の歌碑」が設置されているほどだが、青函連絡船で津軽海峡を越えるときにも、牧水は「啄木の歌の思い出さるる津軽の海は黒く重たくたいらかに凪いでいた」と、亡き盟友を懐かしく思い出している。

函館から汽車に乗り、札幌に到着したのは九月二十四日の午後九時三十分だった。

牧水の北海道周遊の旅は、ここから始まるのだが、記録が詳細で、秋の北海道の情景が丁寧に書き込まれている。

このペースで一か月半の紀行文を書いていったら、かなり膨大なものになるに違いない。

と思ったら、どうやら途中で力尽きたらしく、道東の帯広まで丁寧に綴られたところで、紀行は途中終了してしまった。

読者諸君、約に反く様で相済まぬが此処にて以上の紀行をば暫くさし擱かして頂きたいと思う。炭山地方の珍しい風物、人物、新琴似の大吹雪等、書きたい事が非常にあるがあまりにこの紀行が長くなったし、書くのにも疲れた。いずれこれは「北海道行脚別記」とでもして、丁度その季節の頃の本誌に書き継ぐことにしたいと思う。諒せられよ。(若山牧水「北海道行脚日記」)

本紀行のはじまりのときには「この前の九州記の様に尻切とんぼにせず、拙くもおしまいまで、じんねりむっつりと書いてゆきます」と宣言していたのだが、毎日の宴会で、さぞかし疲れていたのだろう。

これもまた、若山牧水らしいような気がした。

北海道の地方都市にも広がっていた牧水人気

牧水の紀行を読むと、当時の地方都市の様子に、そのときの牧水の気持ちが反映されて描かれているのが分かる。

岩見沢の夜には、空知会館で歌会が行われている。

帰りの自動車の寒さ、そしてこの広原のうえに氷りついている様な星空の美しさ、それから帰りついて太田君ところでとり囲んだ囲炉裏の親しさ、とりあげた杯のうまさ、何だかわたしはその日は終日興奮していた。(若山牧水「北海道行脚日記」)

牧水に、岩見沢の街は良い印象を与えたに違いない。

増毛では、増毛港の築港起工祝賀会に立ち合い、小学生徒の旗行列を見学しているが、あいにくのひどい雨風だった。

小学校の若い先生<今泉君>は、「増毛の林檎は余市に劣らない」と言って、たくさんの林檎を牧水に食べさせている。

経由地の名寄で予定を変更して一泊しているところもいい。

なよろという地名からか、斯うして偶然降り立ったせいか、凍み氷る手に宿の番傘をかざしながら、わたしはたいへん親しい気持でこの北海道式の幅広い街路をあちこちと歩いた。(若山牧水「北海道行脚日記」)

名寄で、牧水は、足駄のほか、茹栗やチョコレートクリームなどを買い込んでいる。

それにしても、道内各地で牧水夫妻を待ち受けている人たちがいるから、当時、若山牧水と言えば、本当に人気のあった歌人だったのだろう。

牧水が主宰する歌誌『創作』の読者が、遠く北海道にまで広がっていたということでもある。

そして、地方読者の多くが、学校の先生だったということも興味深い。

大正期、地方の文学は、こうした教育者たちによって支えられていたのだろうか。

夕張や幾春別などの炭鉱地方、殊に歌志内についての記述が割愛されているのは、非常に残念。

少し酒を控えて、執筆時間を確保してほしいと思うけれど、そういうことを言い始めたら、若山牧水という歌人のアイデンティティが失われてしまうことにもなりかねない。

酒飲みの文学というのは難しいものだなあと思った。

作品名:北海道行脚日記
著者:若山牧水
書名:若山牧水全集(第十二巻)
発行:1993/09/12
出版社:増進会出版社

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やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。