外国文学の世界

サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」虚栄にまみれた若者と幻想からの覚醒

サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」あらすじと感想と考察

サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」読了。

本作「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、1952年(昭和27年)5月『ワールド・レヴュー』(イギリス)に発表された短編小説である。

この年、著者は33歳だった。

作品集としては、1953年(昭和28年)にリトル・ブラウン社から刊行された『ナイン・ストーリーズ』に収録されている。

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虚像と現実との大きなギャップ

本作『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』は、自己中心的な若者が、悟りを得て虚像から解き放たれるという、覚醒の物語である。

1939年(昭和14年)、19歳だった頃の<わたし>は、極めて自分勝手で我がままな青年だった。

フランス・パリの美術展で三つの金賞を得ていたこともあり、自分以外の人間が、すべて無価値に覚えていたのだ(彼が描く絵のほとんどが自画像だった)。

<わたし>は、名前や経歴を偽って、カナダにある美術通信講座の学校「<古典巨匠の友>校」に就職する。

作品タイトルにある<ドーミエ・スミス>は彼の偽名で、年齢は29歳、彼の両親の親友はパブロ・ピカソだという触れ込みだった。

ドーミエ・スミスは、自己顕示欲に満ちた<わたし>の作り出した虚像である。

ところが、彼の就職した美術学校は、モントリオールで最も貧しい地区にある下級アパートの二階の一部屋で、一階には整形外科の医療器具を売る店が入っていた。

きらびやかな彼の虚像に対して、現実の世界は、いかにも貧相で、虚像と現実との大きなギャップが早くも露呈しているが、それでも、彼の自己顕示欲が衰えるところはなく、通信講座の生徒の作品は、彼にとって、どれもつまらない作品ばかりだった。

ミス・クレーマーが封入してよこしたのは八インチに十インチの光沢のある印画紙を使った大型の照影で、ストラップレスの水着を着て白いズックの水兵帽をかぶり、片方の足首にアンクレットをはめている。(サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」野崎孝・訳)

作品よりも自分の写真を強調して送ってきた23歳の主婦に、<わたし>はうんざりする。

さらに、もう一人の生徒(56歳の男性)の作品は、巨乳の女性が、教会で牧師から強姦されている場面を描いた風刺画で、これも<わたし>の気に入らないが、作品に署名があるところを含めて、その実、<わたし>と彼らとは、似た者同士の仲間だった。

<わたし>が興味を持ったのは、名前も年齢も不詳の修道女が描いた宗教画で、<わたし>は個人的に彼女とつながりたいと考え、私的な手紙を修道院に宛てて送る。

彼女の返信を待ちわびていた<わたし>は、ある日、不思議な体験をする。

いつの日にかおれは人生を心静かに、もしくは聡明に、もしくは優雅に生きるすべを悟るかもしれぬ。だがそれにしてもおれはしょせん一介の訪問客、琺瑯引きの溲瓶や便器の花が咲きほこり、目の見えぬ木製のマネキン人形の神が、値下げ札のついた脱腸帯をしめて立っている花園を訪れた一介の訪問客に過ぎぬではないか──(サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」野崎孝・訳)

医療器具のショーウィンドウを前にして、彼は虚像と現実の乖離に気付く。

自分の虚像を認識した若者の成長が、この作品では描かれているのである。

虚像を棄てて、現実の世界に生きる

彼の成長物語には、さらに大きなエピソードがある。

例のショーウィンドウで、三十歳位の女性が、マネキン人形の脱腸帯を交換している様子を目撃した<わたし>は、神秘主義的とも言える異常な経験をするのだ。

突然太陽が現われて(と、こういうことを言うに当って、わたしはそれ相当の自意識をもって言っているつもりだが)太陽が現われて、わたしの鼻柱めがけて、秒速九千三百万マイルの速度で飛んで来たのだ。わたしは目がくらみ、ひどくおびえて──ウィンドーのガラスに片手をついてようやく身体を支えたくらいである。続いたのはほんの数秒に過ぎなかった。そしてふたたび目が見えるようになったとき、ウィンドーの中にはすでに女性の姿はなく、後には二重の祝福を受けた世にも美しい琺瑯の花の花園が微かな光を放っていた。(サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」野崎孝・訳)

尿瓶や便器が並ぶ医療器具店のショーウィンドウで、<わたし>は突然に悟りを得て、新しい<わたし>になる。

間もなく、美術学校は閉校になってしまうのだが、<わたし>は、その夏を、<ショートパンツのアメリカ娘>たちを眺めながら楽しく過ごした。

自分以外のすべてが無価値に思えていた頃の<わたし>は、もういない。

医療器具店のショーウィンドウで悟りを得た若者は、虚像を棄てて、現実の世界に生きることに決めたのである。

突然に太陽が出現して悟りを得てしまうあたりは、理屈では解することができない神秘主義的なエピソードだが、この不思議な体験こそが、本作「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」最大のポイントとなっている。

作品集『ナイン・ストーリーズ』を読み進めていく中で、大きな変化を感じる部分だが、この戸惑いは決して読者の錯覚ではない。

この次の読むことになる『ナイン・ストーリーズ』最後の作品「テディ」において、読者はさらに大きな困惑を経験することになるからだ。

ちなみに、サリンジャーが代表作となる『ライ麦畑でつかまえて』を発表するのは、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」発表の前年に当たる1951年(昭和26年)7月のこと。

『ライ麦畑』の発表を経て、サリンジャーの小説は、宗教的な要素を強めていく。

作品名:ド・ドーミエ=スミスの青の時代
著者:J.D.サリンジャー
訳者:野崎孝
発行:1974/12/20(1988/1/30改版)
出版社:新潮文庫

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やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。