日本文学の世界

上林暁「文と本と旅と」私小説作家の文庫オリジナル精選随筆集

上林暁「文と本と旅と」読了。

本作「文と本と旅と」は、2022年(令和4年)7月に中公文庫から刊行された文庫オリジナルの精選随筆集である。

なお、著者の上林暁は、1980年(昭和55年)8月28日に没している(享年77歳)。

「文」「本」「旅」「酒」「人」

本作「文と本と旅と」は、中公文庫オリジナルの精選随筆集である。

上林暁には、1959年(昭和34年)に五月書房から刊行された『文と本と旅と』というタイトルの随筆集があるが、本作とは収録内容が大きく異なっている。

1959年(昭和34年)版では「文」「本」「旅」「酒」の項目で作品が分類されているが、本作ではさらに「人」という項目が付け加えられた。

例えば「署名帖」などは、上林暁と作家たちとの交流の一端を語る物語となっている。

僕は一冊の署名帖を持っている。と言って、もちろん披露するほどのものではないが、そのなかには、百五十人ばかりの学者、思想家、作家などの署名が並んでいる。頼んで書いてもらったものではなく、書き捨てられたものを蒐めてアルバムに貼りつけたのだから、書いた御当人達は、自分の署名がこんなところに保存されていようとは夢にも御存じないであろう。(上林暁「署名帖」)

上林暁が編集者だった時代(昭和初期)に作成されたものだから、当然、古い作家の名前が並ぶ。

今では、名前さえ忘れられた作家たちが、ほとんどなのではないだろうか。

次に「酒」の項目には、上林暁と言えば酒というイメージが強いためだろう、いかにも上林暁らしい作品が並ぶ。

「文壇酒友録」は、文字どおり文壇人との酒の付き合いを綴ったもの。

井伏鱒二や外村繫、青柳瑞穂、村上菊一郎、小田嶽夫、河盛好藏など、やはり阿佐ヶ谷会のメンバーが目に付く。

ボードレールの研究家として知られる村上菊一郎氏も、酔うと相当である。去年のこと私が阿佐ヶ谷のある飲み屋に行くと、村上氏が来ていて、私の鳥打帽子姿がいいと言って私の鳥打帽を取って冠り欲しがって仕方がなかった。(上林暁「文壇酒友録」)

ちなみに、井伏鱒二は「からだもよくて、徹宵飲んでも平気のよう」、外村繫は「多少アルコール中毒の気があるらしく、飲み初めに、盃を持つと手がふるえ、酒をこぼしてしまうことがある」、河盛好藏は「ふだんでも朗らかであるが、酒を飲むと、いよいよ朗らかに、いよいよ弁舌が冴えて来る」とある。

酒が交友を支える、そんな時代だった。

私小説作家としての覚悟

上林暁は旅の随筆、いわゆる紀行文もいい。

「甲州御坂峠」は、井伏鱒二や青柳瑞穂、太宰治等と、甲州御坂峠の山の宿に一泊したときの記録である。

あの、富士山独特の稜線の絶妙さには、今更感嘆した。僕と青柳さんとが頻りに感嘆し合っていると、太宰君がそばからいった。「それでも、毎日見ていると、やりきれなくなりますよ」(上林暁「甲州御坂峠」)

もちろん、太宰治には「富岳百景」という名作がある。

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作家としての自身を語ったものでは「私小説十年」が興味深い。

私小説というものは、誰からも全面的に受け入れられて、持てはやされたものではない。少数の愛好者を除いては大多数の人なら小突き廻されるのが、私小説の運命である。今までに散々小突き廻された。これからも小突き廻されることであろう。そして、それだけの覚悟がなくては、私小説というものは書けぬものである。(上林暁「私小説十年」)

現代では、売れるか売れないかという商業主義が、小説家の評価に大きな影響を与えるだろう。

当時は、評論家が大きな影響力を持つ時代だったのかもしれない。

書名:文と本と旅と
著者:上林暁
編者:山本善行
発行:2022/07/25
出版社:中公文庫

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