村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」読了。
本作「中国行きのスロウ・ボート」は、『海』1980年(昭和55年)4月号に発表された、村上春樹最初の短編小説である。
この年、著者は31歳だった。
タイトルは、スタンダードジャズの名曲「On a Slow Boat to China(オン・ア・スロウボート・トゥ・チャイナ)」から。ソニー・ロリンズの演奏でも有名。
テーマは「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」
この小説のテーマは「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」という主人公の台詞だろう。
目を覚ましたのは葡萄棚の下のベンチ、もう日は暮れかけ、乾ききったグラウンドにまかれた水の匂いと、枕がわりの新品のグローヴの皮の匂いが最初に僕の鼻をついた。そしてけだるい側頭部の痛み。僕は何かをしゃべったらしい。覚えてはいない。僕に付き添ってくれていた友達が、あとになって恥かしそうにそれを教えてくれた。僕はこう言ったらしいのだ。大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる。(村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」)
大雑把に言えば、この物語は、語り手である<僕>が、若い頃に出会った三人の中国人の思い出を語るという筋書きの短編小説である。
初めて出会った中国人は、中国人小学校の教員で、日曜日に受けた模擬テストの会場として、僕は、この中国人小学校を訪れたのだった。
中国人小学校の教員は、この模擬テストの試験監督官だった。
次に、登場する中国人は、大学生のときにアルバイト先で出会った女の子で、<僕>は彼女と一度だけデートしたことがある。
二人でレストランで食事をして、ディスコティックへ行って踊ったのだ。
最後に登場する中国人は、高校時代に一緒だった男性。
28歳のとき、<僕>は彼と偶然に再会する。
何気ない三つのエピソードに共通しているのは、どの思い出も、<僕>にはちょっと居心地の悪い思い出だということだろう。
中国人小学校では、試験監督から「机に落書きをしないように」と注意をされていたのに、<僕>は机に落書きをしてしまう。
ちなみに、『村上春樹全作品1979-1989(3)短篇集』に収録された「中国行きのスロウ・ボート」では、机に落書きをしたくだりが削除されている。その理由は謎だ。
初めてのデートで彼女の電話番号を教えてもらった<僕>は、その電話番号を書いたメモ(紙マッチ)を間違って捨ててしまう。
もちろん、それきり、彼女と会うことはなかった。
28歳のときに再会したとき、僕は、高校時代の同級生だった彼の存在を思い出すことができなかった。
しばらく会話を続けていくうちに、ようやく、<僕>は彼の名前を思い出すことができたのだ。
どの思い出も、<僕>にはちょっとした痛みを伴っている。
三十歳を越えた男の焦りを描き出した物語
こうした<僕>の痛みの背景にあるものは、<僕>の中の中国人軽視の姿勢である。
もちろん、中国人の多い街で生まれ育った<僕>にとって、中国人はさほど特別の存在というわけではない。
むしろ、それは日常の中に当たり前に存在しているものだった。
だからこそ、<僕>は、記憶に残る小さな過ちを、「中国人」というキーワードを通じて共通化してしまうのかもしれない。
この物語で、<僕>が語ろうとしているのは、そんな不完全な自分自身からの脱皮である。
「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」ものは、他でもない、<僕自身>のことなのだ。
そこには、若い頃から失敗を積み重ねてきた自分自身への反省と、将来の成長に対する期待がある。
もちろん、この物語で語られている「中国人」は一つの象徴であって、<僕>は、中国人以外の多くの場面でも、同じような過ちを繰り返してきているはずだ。
それは、多くの人たちが抱えている小さな傷痕と同じもので、だからこそ、「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」という言葉は、万人に共通する普遍的な言葉となる。
大丈夫、小さな過ちを犯さないように注意すれば、まだまだ僕は頑張ることができるんだ、と。
既に三十歳を越えた一人の男としてもう一度バスケットボールのゴール・ポストに全速力でぶつかり、もう一度グローヴを枕に葡萄棚の下で目を覚ましたとしたら、僕は今度は何と叫ぶのだろう? わからない。いや、あるいはこう叫ぶかもしれない。おい、ここは僕の場所でもない、と。(村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」)
この小説は、三十歳を越えた男の焦りを描き出した物語である。
やがて、誰もが、埃を払ってさえも、食べることができない年齢になってしまうのだ。
だから、頑張ろうぜ。
そんなエールを、僕はこの小説から受け取った。
すごく良い小説だと思う。
作品名:中国行きのスロウ・ボート
著者:村上春樹
書名:中国行きのスロウ・ボート
発行:1997/4/18改版
出版社:中公文庫