庄野潤三の世界

庄野潤三「私の履歴書」日本経済新聞に連載された芥川賞作家の半生

庄野潤三「私の履歴書」日本経済新聞に連載された芥川賞作家の半生
created by Rinker
¥1,463
(2024/04/25 14:17:28時点 Amazon調べ-詳細)

庄野潤三「私の履歴書」読了。

「子供がみんな結婚して、家に妻と二人きりで暮すようになって年月がたった。そんな夫婦がいったいどのようにして日を送っているを書くのが、いまの私の仕事」だと、庄野さんは綴っている。

日本経済新聞に連載された「私の履歴書」の最終回の書き出しだ。

続けて「『貝がらと海の音』(新潮社)が始まりで、『ピアノの音』(講談社)、『せきれい』(文藝春秋)と続いた。いま書いているのは、「庭のつるばら」(「新潮」)」と書いた後で「これからも続けるつもり」と締めくくる。

その言葉どおりに「庭のつるばら」や「私の履歴書」を連載した当時のことは、一年後に「鳥の水浴び」(「群像」)という作品の中で描かれることになる。

庄野潤三は、自分の体験を小説の題材として書き続けてきた作家だ。

評論家はそれを「私小説」と呼ぶが、庄野さんの作品を読んでいると、それが「私小説」かどうかという分類などは、正直に言ってどうでもよくなる。

自分の体験を題材にしているからといって、庄野さんの小説は自己を深く掘り下げるものではなく、社会の中の自分の存在意義を追求するものでもない。

人間が生きていく上で感じる喜びや悲しみ、寂しさや切なさといった些細な感情を描くために、庄野さんは自分の暮らしに題材を求めたに過ぎないからだ。

自分の生き様を小説に描いてきた作家だから、庄野さんの「私の履歴書」には、既出のエピソードが多い。

あの小説で読んだことや、この小説で読んだことのあるエピソードのひとつひとつが、庄野さん自身の体験であることが「私の履歴書」を読んでいくうちに理解できる。

「私の『秋風と二人の男』は、ジョッキを前にしてとりとめのない話をする友人を描いた短篇だが、この「二人の男」とはすなわち小沼丹と私である」というようなことが、作中のあちこちで登場する。

生田の家開きをしたとき、招待客の中の河上徹太郎が、何もない庭を見て「なんだ。禿山の一夜じゃないか」と叫んだ話とか、井伏鱒二の仲介によって古備前の水がめを手に入れた話とか、上野の西洋美術館の前で福原麟太郎さんと偶然に会って記念写真を撮った話とか、小説家として独立したばかりの頃、作品を書けなくて苦労しているときに、佐藤春夫から「考え込んでいないで、先ず書き出してみることだね」と励まされた話とか、いつか、どこかで読んだことのあるエピソードが、「私の履歴書」の中にはたくさん出てくる。

それは、庄野さんが、自分の人生を書き続けてきた作家であることの証であろう。

庄野文学の転機となった麦畑の石神井公園と生田の丘

庄野さんの転機は、大きく二つある。

ひとつは、昭和28年9月、故郷の大阪を離れて、妻(千寿子)と幼稚園の長女(夏子)と二歳の長男(龍也)と一緒に上京して、西武線石神井公園で暮らし始めたとき。

阪田三吉の「明日は東京へ出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」という言葉が印象的な村田英雄の「王将」は、当時の庄野さんの気持ちと重なるものがあり、「今も『王将』をきくと、胸にぐっと来るものがある」と庄野さんは綴っている。

やがて、次男(和也)も生まれて、石神井公園の暮らしは『静物』となり『ザボンの花』となった。

もうひとつの転機は、昭和36年4月、賑やかになってしまった石神井公園の家を離れ、神奈川県生田にある、多摩丘陵のひとつの丘の上に家を建てて引越しをしたとき。

生田の丘は、庄野文学の聖地となり、この場所から名作『夕べの雲』を始めとする、数多くの作品が誕生した。

生田の丘での暮らしは、「和子と明夫と良二」という三人姉弟が登場する作品の中で、時を経ながら繰り返し描かれてきたし、子どもたちが結婚して家を出てからも、庄野さんの小説は、子どもたちの家族を加えながら、生田の丘を舞台にどんどん賑やかになっていった。

日常の暮らしを徹底的に愛して見つめた庄野さんの作品は、いつの間にか「私小説」を越えて、「生田」という小さな地域社会そのものを映し出しているようにも思える。

人が地域との関わりの中で生きている以上、それはある意味で必然とも言える流れだったのだろう。

小説とか随筆とか日記とか、そういう分類を越えて

「私の履歴書」は小説ではないし、創作でもないだろう。

とはいえ、人生を描き続けてきた庄野さんにとってみれば、これは「小説」であり「創作」であるとも言える。

そうした分類そのものが、庄野文学にとっては不要であり、意味のないものであるからだ。

小説とか随筆とか日記とか、そういう分類を越えて、僕たちは庄野さんの残してくれた作品を読み続けていきたい。

そして、日々の暮らしの中にある、ふとした驚きやふとした寂しさのようなものを、自分自身としても大切にしていきたい。

書名:野菜讃歌
著者:庄野潤三
発行:2010/1/8
出版社:講談社文芸文庫

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。