昔からエッセイが好きで、好んで随筆集を買う習慣がある。
小説を読まない作家の作品でも、随筆なら読めたりするから不思議だ。
長いものよりも短いものの方が良い。
随筆なんて長く書こうと思えば、いくらでも長く書けてしまう。
限られた枚数の中でまとめるところが随筆の醍醐味と、勝手に信じているから。
僕が、庄野潤三の作品にハマってしまったのは、随筆が好きだったということと、きっと関係があるだろう。
なにしろ、庄野潤三の作品は、しばしば、小説なのか随筆なのか判然としない、と言われる。
著者の庄野潤三自身が無類の随筆好きだったのだから、至極当然という感じがする。
むしろ、庄野さんは、本当は随筆を書きたかったのではないかと勘繰ってしまう。
本当は随筆を書きたいのだけれど、随筆と言ってしまうと売れないから、小説と言って書く。
庄野さんにとって、小説とか随筆とか、そんなジャンル分けは、あるいはそれほど重要なものではなかったのかもしれない。
若き日の庄野さんが影響を受けたのは、イギリスのエッセイと呼ばれる文芸作品だった。
庄野さんの作品には、当時感銘を受けた作家や作品のことが、頻繁に登場している。
庄野さんの作品を読んでいくと、必然的に、庄野さんの読書体験を追体験することになる。
『エリア随筆』も『トム・ブラウンの学校生活』も、僕は庄野さんの作品を読んで知った。
『チャールズ・ラム伝』を書いた福原麟太郎のことも知った。
福原さんの作品を読みながら、福原さんが影響を受けた英国エッセイを知り、英国エッセイの影響を受けた英文学者たちの名を知った。
初めて庄野さんの作品を読んだのが、昨年の夏だから、一年ちょっとで、僕の読書活動の幅は、とても大きく広がることになった。
これもみな庄野さんのおかげである。
そんな僕は今、平田禿木の随筆を夢中になって読み漁っている。
随筆の世界は広くて深い。
世の中に、こんなに楽しい世界があることを、もっと多くの人に知ってほしいと思う。