日本文学の世界

小沼丹「福壽草」何気ない雑文の中にある小さくて贅沢な感動

小沼丹『福壽草』読了。

『福壽草』は、小沼丹の没後に刊行された随筆集である。

生前、小沼丹は『小さな手袋』『珈琲挽き』の二冊の随筆集を刊行していて、『福壽草』は三冊目の随筆集ということになる。

1960年代から1990年代までに発表された雑文のうち、全二作の随筆集に収録されなかったものが入っている。

ぱっと目を引くのが、いくつもの書評で、特に師である井伏鱒二(『くるみが丘』『黒い雨』『荻窪風土記』『白鳥の歌・貝の音』『かきつばた・無心状』)と、盟友である庄野潤三(『つむぎ唄』『自分の羽根』『紺野機業場』『クロッカスの花』『夕べの雲』『野鴨』『イソップとひよどり』『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』)の作品が多い。

小沼さんは、本当に井伏さんや庄野さんの良き理解者だったんだなあということが、とてもよく伝わってくる、温かくて優しい書評である。

知人を離れた文学評も楽しい。

例えば「ディケンズと私」では、多くのディケンズの作品に触れた、読み応えのあるエッセイである。

昔、この物語を読んだとき、まだ三時だと云うのに真暗だと書いてあるので、何だか不思議な気がしたのを想い出したが、北国だから冬は日がひどく短いと云うことが、実感として受取れなかったのである。数年前ロンドンで暮してみて、夏は九時過ぎても明るいのに面喰ったが、もっと北のスコットランドへ行くと、十時過ぎてもまだ明るい。一軒のレストランに這入ったら、窓には全部黒い幕を引いて、わざわざ暗くして夜の感じを出そうとしているから可笑しかったのを想い出す。(小沼丹「ディケンズの私」)

これは、ディケンズの『クリスマス・カロル』を読んだ感想で、小沼さんは難しい解釈ではなく、体感的に外国の小説を読んでいたことが分かる。

果して一晩夢を見てそんなに変るだろうか? なんて考えるのは洵に愚劣なことで、これには何の理屈も要らない。何しろ、クリスマスなのだから、物語のなかでは、どんな奇跡が起っても不思議ではないのである。だから、愉しく笑えばいいということになる。(小沼丹「ディケンズの私」)

理屈で文学を語らないから、小沼さんの書評には温度がある。

そんな書評を読んでいるだけで、読みたい本が次から次へと出てくるだろう。

イギリス滞在時の旅行記

小沼さんがロンドンに滞在したときの記録は『椋鳥日記』という本にまとめられているが、本随筆集の中にも、ロンドン時代の話が入っている。

「湖水周遊」は、イギリスの湖水地方一周の自動車旅行に出かけたときのエッセイで、紀行好きとしては非常におすすめの作品である。

ウヰガンに寄るためにモオタア・ウエイを出たが、これは却って良かったと思う。お陰で小さな町とか村を幾つも通ったが、そんな何でも無い町や村がなかなか良かった。どこへ行っても人影は殆ど見当たらず、ひっそり閑と雨に濡れているばかりだったが、意外に立派な古い石の教会があって、古びた趣のある家の並ぶ通が出て来たり、居酒屋や骨董屋の看板がひょっこり現れたりして、見て過ぎるのは愉しかった。(小沼丹「湖水周遊」)

「そんな何でも無い町や村がなかなか良かった」というのが、小沼さんの旅行記で、有名な観光名所よりも何でもない町や村に惹かれる繊細な感覚は、この随筆集全般に流れている通奏低音である。

決して派手ではないけれど、どのエッセイにも、胸の奥深くまでゆっくりと染みわたってくる小さな感動がある。

現代の日常の中では、なかなか得られない、贅沢な感動だと思う。

書名:福壽草
著者:小沼丹
発行:1998/1/22
出版社:みすず書房

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。