日常生活の中で感じる幸せとは何か。
平穏な暮らしの中でこそ感じることのできる幸福感。
居心地の良いエッセイが、そこにはある。
書名:野菜讃歌
著者:庄野潤三
発行:2010/1/8
出版社:講談社文芸文庫
作品紹介
「野菜讃歌」は、庄野潤三が書いたエッセイ集です。
底本は、1998年(平成10年)に講談社から刊行された随筆集「野菜讃歌」。
各紙(誌)に掲載された細かいエッセイを書籍化したもので、日本経済新聞連載の「私の履歴書」も収録されています。
イギリスの随筆文学に造詣の深い著者らしく、チャールズ・ラムばりに「平明で、悠々としていて、しかも胸に迫って来る」ようなエッセイを楽しむことができます。
高尚な文学作品というよりは、一日の終わりに紅茶を飲みながら、のんびりと読みたい。
そんな息抜きのエッセイ集です。
(目次)Ⅰ/梅の実とり/野菜讃歌/わが散歩・水仙/じいたんのハーモニカ その後/ラムの『エリア随筆』/この夏のこと/庭のブルームーン/湧き出るよろこび/この夏の思い出/うさぎの話/近況I/近況Ⅱ/うさぎのミミリー/飯田中尉のこと/朴葉みそ/わが庭の眺め/このごろ/名言/自然堂のことなど/あとにのこるは///Ⅱ/お祝いの絨毯の話─『ピアノの音』/宝塚・井伏さんの思い出─『散歩道から』/『夕べの雲』の丘/遠藤の新しい本/フィリップの手紙/『沙翁傑作集』のこと─父の本棚/井伏さんの『徴用中のこと』/「われとともに老いよ」―『ピアノの音』/阪田寛夫と「ノイマン爺さん」/『絵合せ』を読む/私のリフレッシュ―談話・小玉祥子記/新たなるよろこび―『ピアノの音』///Ⅲ/小沼とのつきあい/フランスの土産話―遠藤周作を偲ぶ/遠藤から届いた花/私の好きな歌/王維の山の詩/日本語の達人/大根おろしの汁について/池田さんとのご縁/「杜子春」/師弟の間柄/井伏さんのお酒///Ⅳ/私の履歴書///【参考資料】単行本あとがき/解説(佐伯一麦)/年譜(助川徳是)/著書目録(助川徳是)
なれそめ
庄野潤三さんの随筆を読むのは、この本が初めてでした。
講談社文芸文庫から刊行されている随筆集を、片っ端から読んでいた頃のことで、好き嫌いに関係なく、随分いろいろの随筆を読むことができました。
最初に「野菜讃歌」というタイトルを見たときは、老人っぽくて辛気臭いように感じられましたが、それも日本文学の持つ側面のひとつだくらいにしか考えていなかったような気がします。
むしろ、これまでに自分が読んだことのないタイプの随筆文学に触れることができるかもしれないという、根拠のない期待感みたいなものはありました。
なにしろ「野菜讃歌」というタイトルでしたから。
あらすじ
丘の上の家に移り住んで幾十年が経ち、“禿山”だった庭には木々や草花が育ち、鳥達が訪れる。
巣立った子供や身近な人々の間を手作りや到来の品が行き交い、礼状に温かく心が通い合う。
「野菜が好き」と語り出す食べ物の話、父母や師友への追懐、自作の周辺等、繰り返しとみえてその実同じではあり得ない日常を、細やかな観察眼と掌で撫でさする慈しみを以て描き静かな感動を誘う随筆43篇に、中篇「私の履歴書」を併録。
(背表紙の紹介文より)
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
野菜が好きで、よく食べる。
野菜が好きで、よく食べる。身体にいいからというのでなくて、おいしいから食べる。年を取って、ますます野菜が好きになったような気がする。(「野菜讃歌」より)
書籍タイトルにもなっている表題作「野菜讃歌」は、そんな書き出しから始まります。
そして、「好きな野菜のことを書くのに、何から始めたらいいだろう?」と言いながら、ほうれん草、小松菜、大根、玉葱、人参、グリーンピース、さつまいも、茄子、やまのいも、白菜、きぬさやと、自分の好きな野菜のことを次々と綴っていきます。
それぞれの野菜の美味しい食べ方を詳しく紹介していますが、それはグルメエッセイというのではなくて、あくまでも野菜の美味しい食べ方であって、そこには野菜に対する深い愛情が感じられます。
野菜の料理は、どれもみな家庭料理ばかりで、「ほうれん草のおひたし」とか「大根おろし」とか「温野菜のスープ」とか「茄子の油いため」とか、どこの家庭でも普通に食べているものばかり。
庄野さんは、本当に自分の家庭が好きな人だったんだなあということが、野菜について書かれたエッセイからも、しみじみと伝わってきて、心温まるエッセイというのは、こういうエッセイのことをいうのだと、教えられたような気がしました。
この夏も、よく歩いた。
この夏も、よく歩いた。午前中に二回、午後二回歩く。ムギワラ帽子をかぶって、日が照りつける中を歩く。汗をいっぱいかいて、気持がいい。夕方、日の沈むころに四回目の散歩をして、戻ったらシャワーを浴びる。(「この夏のこと」)
庄野さんのエッセイは、平穏な普通の暮らしを普通に描いたものが良いと思います。
もともと、庄野さんはイギリスのエッセイスト・チャールズ・ラムが好きだったそうで、日常生活を自然体で描く姿勢は、チャールズ・ラムから学んだものとも言われています。
新しい発見とか、批判精神とか、特別のものではない、普通の暮らしの中にこそ、エッセイの真髄はあると考えていたのかもしれませんね。
まるで親しい友人からの手紙を受け取ったかのような、ゆったりとしたエッセイを読んでいると、しみじみと人生っていいもんだなあと感じます。
難しい純文学作品とか刺激的な社会派エッセイなんかの読書の合間に読むと、庄野さんの文章の存在感が、ますます際立つような気がします。
「故郷」を吹くと、ハーモニカに合わせて妻が歌う。
夜、ピアノのおさらいを終わった妻は、ハーモニカの箱を持って来る。「故郷」を吹くと、ハーモニカに合わせて妻が歌う。「いかにいます父母、つつがなしや友がき」というところへ来ると、ぐっと来る。(「じいたんのハーモニカ その後」より)
「ぐっと来る」のは、「いかにいますと問いかけたくても、とっくの昔に父も母もいなくなっている私であると思うから」。
明治時代に作られた唱歌には、確かに、日本人の心に「グッとくる」ものがあると思います。
それにしても、クリスマスには妻からハーモニカをプレゼントされ、夕食後は、妻と2人で演奏会を開く、なんという生活の豊かさ。
それが、なんの外連味(けれんみ)もなく、どこまでも当たり前に描かれているところに、庄野さんの家庭にある本当の豊かさというものが現れているような気がします。
人間にとって本当の幸せとは何か。
それは、こんな普通の平穏な家庭のことを言うのではないかと、僕はつくづく感じてしまうのです。
読書感想こらむ
芥川賞受賞作家の書く随筆ということで、最初はかなり身構えて読み始めたのですが、読み終える頃には、ほっこりとした優しい気持ちになることができました。
難解な表現とか、鋭い指摘とか、最近あった嫌なこととか、そんなネガティブは話は一切なくて、とにかく平常心で描かれるエッセイは、のんびりと過ごしたい日曜日の夕方とかにぴったりの一冊です。
実は、遠藤周作とか安岡正太郎とか吉行淳之介とか井伏鱒二とか、文壇仲間の話題も多く含まれているのですが、僕には、普通のお年寄りの日常を描いた文章にこそ、グッとくるものを感じてしまいました。
もちろん、庄野夫妻が安岡章太郎夫婦の仲人を務めた話とか、遠藤周作が亡くなったときのこととか、おもしろい話はたくさんあるわけなんですが。
あまりに刺激の多い毎日だからこそ読みたくなる平穏な日常の物語。
たまにはこんなエッセイで、心をゆっくりと休ませてあげてはいかがでしょうか。
まとめ
平穏な日常を通して描かれる豊かな暮らし。
当たり前の生活だからこそ得られる普通の幸せが、そこにはある。
庄野随筆文学の最終章。
著者紹介
庄野潤三(小説家)
1921年(大正10年)、大阪生まれ。
34歳のとき、『プールサイド小景』で第32回芥川賞受賞。
『野菜讃歌』刊行時は77歳だった。