村上春樹の世界

カポーティ「クリスマスの思い出」これは僕らがともに過ごした最後のクリスマスの物語だ

カポーティ「クリスマスの思い出」あらすじと感想と考察

クリスマスが近くなってきたので、今年もカポーティの「クリスマスの思い出」を読みました。

誰もが子どもの頃を思い出すだろう、クリスマス・ストーリーです。

書名:クリスマスの思い出
著者:トルーマン・カポーティ
訳者:村上春樹
発行:1990/11/25
出版社:文藝春秋

作品紹介

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「クリスマスの思い出」は、トルーマン・カポーティの短篇小説です。

原題はA Christmas Memoryで、アメリカでは1956年(昭和31年)に発表されています。

日本では、龍口直太郎さんの翻訳(1968年)で広く知られていますが、近年は村上春樹さん翻訳で、山本容子さんの銅版画が収録された「イノセント・ストーリー」シリーズの単行本が人気です。

短篇小説ですが、素敵な銅版画と合わせて、ひとつの作品として単行本化されているので、今回は、村上春樹さんの訳で読んでみました。

あらすじ

「クリスマスの思い出」は、大人になった作者が、少年時代(7歳)のクリスマスを振り返る形で描かれた短い物語です。

とりたててすごいドラマが起こるわけでもなく、奇想天外な事件が発生するわけでもありません。

ただクリスマスの季節を楽しみにしていた少年の、かけがえのないクリスマスの思い出。

仲良しの老婆と一緒に焼いたフルーツケーキや山から引きずって来たクリスマスツリー、手作りのクリスマス・オーナメント、2人の回りをいつでも駆けずり回っていたラット・テリアのクイーニー。

ただ懐かしくて、思いだすだけで涙が溢れだしそうになる、少年時代のクリスマスが、カポーティの繊細で詩的な文章で美しく描かれています。

なれそめ

カポーティの「クリスマスの思い出」は、龍口直太郎さんが訳した短篇小説集「ティファニーで朝食を」(新潮文庫)に収録されている作品です。

なので、「ティファニーで朝食を」を新潮文庫で読んだことのある方だったら、「クリスマスの思い出」も、きっと一緒に読んでいるだろうと思います。

もちろん、僕もそうでした。

オードリー・ヘップバーンの映画で有名な「ティファニーで朝食を」を読んで、そのついでに「クリスマスの思い出」を読んだ。

それが、僕にとっての「クリスマスの思い出」との馴れ初めですが、今の僕は、「ティファニーで朝食を」と同じくらい、この作品が好きです。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」と彼女はしゃくりあげながら言う。

「泣かないで」と僕は彼女のベッドの足の方に坐って言う。去年の咳どめシロップの匂いの残ったフランネルのナイトガウンを着ているのに、それでも寒くて体が震える。「泣かないで」と僕は頼む。(略)「もう大人なんだからさ、泣いちゃいけないよ」「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」と彼女はしゃくりあげながら言う。「年とってもちっともまともになれないからだよ」(カポーティ「クリスマスの思い出」)

「クリスマスの思い出」は、純真な子どもの心を持った登場人物の物語です。

そして、誰よりも、子どもの心を忘れずに大切に抱えていたのは、既に老婆となっているスックでした。

主人公のバディ、スック、クイーニー。

純真無垢な心を抱えた登場人物たちが、とにかく居心地の良い自分たちだけの世界を作って、その中で安らかな幸せに包まれている。

「クリスマスの思い出」が居心地良い物語であるのは、誰もがかつて持っていただろう少年少女の時代に思いを馳せるからなのです。

でもそれ以上に私が頭にくるのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。

もし私にそれが買えたならね、バディー。欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったく辛いことだよ。でもそれ以上に私が頭にくるのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。(カポーティ「クリスマスの思い出」)

いとこのスックは少年のバディを溺愛していますが、孤独で貧しいスックには、バディが欲しいと思っている自転車を買ってあげることもできません。

少女のような心を持つスックは、その「欲しいものを買ってあげることのできない苦しさ」を、素直にバディへと伝えます。

その瞬間、バディの心は愛で満たされて、スックとの心の結びつきを、より深めていくようです。

両親から見放されて孤独なバディを愛情たっぷりに育て、やがて大人になった作者が懐かしく思い出すのは、紛れもなく、このスックやクイーニーと過ごしたクリスマスの季節のことなのです。

私はね、今日という日を胸に抱いたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないと思うよ。

私はこれまでいつでもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず病気になって死ななくちゃならないんだってね。(略)でも、それは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ。神様は前々から私たちの前にそのお姿を現していらっしゃったんだということを。(略)私はね、今日という日を胸に抱いたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないと思うよ。(カポーティ「クリスマスの思い出」)

純粋な老婆スックは、子どものように汚れのない心で世の中を見つめ、自分たちが暮らしている世界の中に、自分が信じてきた神様の存在を発見します。

それは、バディとクイーニーと一緒に過ごすクリスマスの中に、神様の存在を見つけたということだったのかもしれません。

そのくらいにスックは幸福で満たされていたということなのではないでしょうか。

この後、物語は切なすぎる形で幕を閉じます。

続きは、ぜひ、本書を読んで確認してみてくださいね。

読書感想こらむ

読み終えた瞬間、穏やかで安らかな気持と一緒に、ちょっぴり、割り切れない切なさを感じる。

それが、カポーティの作品の持つ奥深さだと、僕は思います。

美しい物語も、決して美しいだけのお話では終わったりしない。

時に、人生はとても美しくて素晴らしいものだけれど、決してそれだけのものでもないんだということを、カポーティの小説は教えてくれます。

そして、そのほんのりと切ない小さな傷みの中にこそ、僕たちは忘れてはならない大切な何かが隠されているような気がするのです。

まとめ

カポーティの「クリスマスの思い出」は、純粋無垢な子どもたちの物語です。

クリスマス・シーズンには必ず読みたい、永遠の名作です。

初めてのカポーティにもお勧め。

著者紹介

トルーマン・カポーティ(小説家)

1924年(大正13年)、アメリカ生まれ。

代表作に「ティファニーで朝食を」「冷血」など。

「クリスマスの思い出」刊行時は32歳でした。

村上春樹(小説家)

1949年(昭和24年)、京都府生まれ。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」など、翻訳作品も多い。

「クリスマスの思い出」刊行時は41歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。