外国文学の世界

エリオット「荒地」サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」を読み解く

T.S.エリオット「荒地」あらすじと感想と考察

T.S.エリオット「荒地」読了。

本作「荒地」は、1922年(大正11年)『クライテリオン』に発表された長編詩である。

この年、著者は34歳だった。

日本では、西脇順三郎の翻訳で知られている(1952年刊行)。

シビルと「記憶と欲望を混ぜ合わし」

サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」の中に、T.S.エリオットの「荒地」のフレーズが引用されている。

ビーチで寝ている<シーモア・グラス>のところに幼い少女<シビル>がやってきて、二人で会話をしている場面だ。

「今度はその子、押しのけてね」「その子って、誰を?」「シャロン・リプシャツ」「ああ、シャロン・リプシャツか。よくもそんな名前が思い浮かんだもんだ。記憶と欲望を混ぜ合わし、か(訳注 T.S.エリオット『荒地』冒頭の一句)」(J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」野崎孝・訳)

新潮文庫の野崎孝訳では、丁寧に訳注が入っていて、シーモアのつぶやく「記憶と欲望を混ぜ合わし」という言葉が、T.S.エリオット「荒地」冒頭の一句だということが理解できるようになっている。

「バナナフィッシュ─」を読み解いていくと、この短編小説とエリオットの詩との関係が気になるものらしい。

『荒地』は全五部で構成される長編詩で、「記憶と欲望を混ぜ合わし」のフレーズは、第一部「死人の埋葬」の冒頭で登場する。

四月は残酷極まる月だ / リラの花を死んだ土から生み出し / 追憶に慾情をかきまぜたり / 春雨で鈍重な草根をふるい起すのだ。(T.S.エリオット「荒地」西脇順三郎・訳)

3~4歳程度の少女との会話から「記憶と欲望を混ぜ合わし」という詩句へとつながっていく発想は突飛な印象を受けるが、醜い嫉妬心から独占欲を丸出しにするシビルの姿は、大人の女性と何も変わることがない。

そもそも<シビル>という名前は、「荒地」のエピグラムに引用されているペトロニウス「サテュリコン」との関係が深いという指摘もある。

「クーマエというところで一人の巫女が甕の中にぶらさがって暮していたのを実際に私は目撃したからだ。街の少年たちはいうのだ『巫女さん、あんたは何がしたいのだ』巫女はいつも答えた『わしは死にたいよ』」(T.S.エリオット「荒地」西脇順三郎・訳)

不死を望んだ巫女は、同時に若さを求めることを忘れたために老い衰えて、蝉のように萎んでしまい、甕の中にぶら下がって暮らしている。

そんな巫女の望みは「死ぬこと」だったのだ。

巫女と訳されている言葉<sibyllam>は<シビュラ(つまりシビル)>であって、シーモアと会話をしている少女には、「わしは死にたいよ」とつぶやいた巫女の姿が投影されているのだろうか。

少なくともサリンジャーは、「バナナフィッシュ─」を書くときに、エリオットの「荒地」を意識していたことは確かだろう。

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記憶と欲望がよみがえる季節「四月」

「荒地」は、特に先に引用した冒頭の四行で広く知られている、エリオットの代表的な作品である。

そもそも四月を「残酷極まる月だ」と表現する発想がぶっ飛んでいる(普通、四月は花が咲き始める生命力の強い月だとイメージされているから)。

なぜ、四月が残酷なのか。

それは、死んだ土地からライラックの花を咲かせて、元気のなかった根を春雨で生き返らせてしまうからである。

花が咲き、根が生き返ることが、どうして残酷なのか。

鍵はどうやら「記憶と欲望を混ぜ合わし」というフレーズにあるらしい。

松尾芭蕉に「さまざまの事おもひ出す桜かな」という俳句がある。

春は、過去の記憶を蘇らせる季節なのだ。

楽しい恋の記憶もあれば、苦しかった失恋の記憶もあるだろう。

苦しかった失恋の記憶は、昔の恋人の肉体を思い出し、鎮まっていた性欲を呼び起こすかもしれない。

「記憶と欲望を混ぜ合わし」には、そんな過去と現在をごちゃ混ぜにした人間の苦悩がある。

だから四月は残酷なのだ。

いっそ、冬が続いていれば、記憶も欲望も目覚めることがなかった(春が来なければ、ライラックの花が咲き返ることがないように)。

しかし、季節は巡り、人間は苦しみから解放されることはない。

少なくとも、生きている限りは──。

ここで題辞として掲げられた巫女の言葉がつながってくる。

「わしは死にたいよ」とつぶやいた巫女の言葉が。

さらに巫女(シビル)の言葉は、「バナナフィッシュ─」のシーモアへとつながっていき、「記憶と欲望を混ぜ合わし、か」とつぶやいた直後、シーモアは自殺する。

これは、もちろん偶然ではないだろう。

「バナナフィッシュにうってつけの日」という短篇小説が、それまでのサリンジャー作品と一線を画す優れた作品となっている背景には、そんな巧妙な仕掛けも大きく影響しているのだ。

書名:荒地
著者:T.S.エリオット
訳者:西脇順三郎
発行:2021/10/15
出版社:土曜社

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。