主人公のアラサー男子ギャツビーを中心に1920年代のニューヨークを舞台に繰り広げられる、ひと夏の恋愛青春物語。
でも本当に伝えたいことは男と男の友情だった?
大人男子が泣いても恥ずかしくない名作です。
書名:華麗なるギャツビー
著者:F・スコット・フィッツジェラルド
翻訳:野崎孝
発行:1974/6/30
出版社:新潮文庫
作品紹介
「華麗なるギャツビー(グレート・ギャツビー)」は、アメリカの作家であるF・スコット・フィッツジェラルドが書いた小説です。
1925年に出版されて以来、世界中で読み継がれている歴史的名作で、現在もアメリカ文学を代表する作品と言われています。
過去に何度も映画化されており、直近では2013年にレオナルド・ディカプリオ主演で映画化され、大きな話題となりました。
なれそめ
僕が初めて「華麗なるギャツビー」を読んだのは20代前半の頃のことです。
村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読んだとき、作品中にこの小説が登場していたことがきっかけでした。
僕は気が向くと書棚から「グレート・ギャッツビイ」をとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴らしいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴らしさを伝えたいと思った。(村上春樹「ノルウェイの森」より引用)
その頃の僕は村上春樹さんの熱狂的な読者で、村上さんが影響を受けたカルチャーは何でも共有したいという気持ちを持っていました。
あらすじ
純真な青年ギャツビーは「元カノ」デイジーを取り戻すために大富豪となり、友人となったばかりの証券会社社員ニックを介して、既に人妻となっていたデイジーと再会します。
物語の語り手であるニックは、デイジーとは「またいとこ」の親戚であり、デイジーの夫トムともエール大学時代の友人だったんですね。
偶然にもギャツビーの隣人となったニックは、ギャツビーとの友情を深めながら、ギャツビーがデイジーに抱く熱い思いを理解していくことになります。
一方で、夫トムの不倫に悩むデイジーも「元カレ」ギャツビーの登場によって、かつて
抱いていた情熱を取り戻し、夫婦関係に新たな問題が勃発。
ギャツビーとデイジーの仲は熱く燃え上がりますが、物語は意外な展開を見せながら進み、ラストシーンでは誰も予測しなかっただろう悲劇が、彼らを待ち受けています、、、
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
なんてきれいなワイシャツなんだろう
彼はワイシャツの一束をとりだすと、一枚一枚ぼくたちの眼前に投げてよこした。薄麻のワイシャツ、厚手の絹のワイシャツ、目のつんだフランネルのワイシャツ、投げだされるがままにひろがって、テーブル一面に入り乱れた色とりどりの色彩を展開した。(略)突然感極まったような声をたてて、ディズィは、ワイシャツの山に顔を埋めると、激しく泣きだした。「なんてきれいなワイシャツなんだろう」しゃくりあげる彼女の声が、ワイシャツの山の中から、こもって聞こえた。「何だか悲しくなっちまう。こんなに…こんなにきれいなワイシャツって、見たことないんだもの」(スコット・F・フィッツジェラルド/「華麗なるギャツビー」)
おそらく、この場面は、ドレスシャツについて描かれた小説の中でも、世界中で最も有名なシーンだと思います。
仮にメンズファッションに興味があって、ドレスシャツにもこだわりたいという気持ちを持っている方だったら、少なくともこの場面くらいは暗唱できるようになっておきたいもの。
クラシックなファッションスタイルに関心のある方であれば、この場面から得られるものはかなり大きいのではないでしょうか。
映画版「華麗なるギャツビー」は、ラルフ・ローレンやブルックス・ブラザーズが衣装を担当しています。
アメリカを代表するオーセンティックなファッションブランドが、衣装を監修するくらい、この小説の登場人物たちは都会的で洗練された雰囲気に包まれています。
あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある
「あいつらはくだらんやつらですよ」芝生ごしにぼくは叫んだ。「あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」これを言ったことを、ぼくはいつもうれしく思いだす。これが後にも先にもぼくが彼を誉めた唯一の言葉だった。(スコット・F・フィッツジェラルド/「華麗なるギャツビー」)
「華麗なるギャツビー」の大きなテーマは、ギャツビーとディズィとの不倫の愛。
その意味で、この小説は恋愛小説と言えますが、僕はギャツビーとニックとの友情に着目して読んだ方が、この小説はおもしろいと考えています。
特に物語のラストシーンで、ニックがギャツビーに「あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」と叫ぶシーンは、2人の熱い友情が感じられる、すごい名場面です。
実は、ニックがギャツビーを讃える言葉というのは、これが最初で最後であり、2人が交わした言葉も、これが最後のものでした。
自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五つほど年をとりすぎました
「あたしはね、あんたのことを正直で率直な人だと思ったんだ。それがあんたの誇りなんだと思ったの」「ぼくは三十ですよ」と、ぼくは言った。「自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五つほど年をとりすぎました」(スコット・F・フィッツジェラルド/「華麗なるギャツビー」)
「華麗なるギャツビー」の主人公は、もちろんジェイ・ギャツビーですが、僕は物語の語り手であるニック・キャラウェイが好きです。
この小説は、ニックから見たギャツビーに生き様について書いたものですが、ニック自身の青春についても、しっかりと描かれています。
例えば、「元カノ」ジョーダンにニックが言った台詞 「ぼくは三十ですよ。自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五つほど年をとりすぎましたよ」は、なかなかの名言。
ニックに感情移入しながら読んでいくと、ギャツビーに対する理解が一層深まると思いますよ。
読書感想こらむ
この小説の登場人物は、30歳になったばかりのニックをはじめとして、都会の暮らしを楽しむ30歳前後の男女が中心です。
この小説を読むたびに僕は、大人の男性にとって本当の青春というのは30歳になって理解できるものなのかもしれないなと思ったりします。
もしも、人生を一度だけやり直せるとしたら、僕は「29歳の自分になってみたい」。
そして、30歳になるまでの自分を、今度こそは悔いなく演じてみたいと思うのですが、、、
まとめ
フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」は、すべての男性が30歳になる前に読んでおくべき大人の青春小説。
語り手であるニックとギャツビーとの関係は「アラサー男子にとって友情とは何か?」ということを、真剣に考えさせてくれる。
人生をやり直せるなら、僕は29歳をもう1回やり直したい。
著者紹介
F・スコット・フィッツジェラルド(作家)
F・スコット・フィッツジェラルドは1896年(明治29年)、アメリカのミネソタ州で生まれました。
1940年(昭和15年)に44歳で没するまで、1920年代の「失われた世代」の作家として活躍、20世紀のアメリカ文学を代表する作家の一人として、今なお世界中で読み継がれています。
代表作である「華麗なるギャツビー」を発表したのは、29歳のときでした。
村上春樹さんもフィッツジェラルドのファンとして有名で、1988年に「ザ・スコット・フィッツジェラルドブック」を出版するほか、多くの作品の邦訳も手がけています。
野崎孝(翻訳家)
1925年(大正14年)にアメリカで出版された「華麗なるギャツビー」は、複数の翻訳家によって邦訳されていますが、最も有名なのは1957年(昭和32年)に「華麗なるギャツビー」として出版した野崎孝さんの訳によるものでしょう。
野崎さんはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の訳者としても有名な翻訳家で、時代の空気感を的確にとらえた翻訳で、多くのアメリカ現代文学を日本に紹介しています。