日本文学の世界

井伏鱒二追悼文集「尊魚堂主人」多くの仲間に愛された最後の昭和文士

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「尊魚堂主人-井伏さんを偲ぶ」読了。

本書は、2000年(平成12年)に刊行された井伏鱒二追悼文集である。

井伏鱒二が没したのは、1993年(平成5年)7月10日だから、この追悼文集は没後七年後に生まれたことになるが、「後記」の中に「追悼文集の計画は早くからあったが、新全集が完結したのを機に、あらためて一冊を編み、故人を追想するよすがにしようということになった」と、その理由が記されている。

「後記」によると、井伏鱒二の「亡くなられた直後からその人柄や文学を偲ぶ文章が多く書かれた。二年後の三回忌のころまでに発表されたものだけでも、百七十余篇を数える」「ここにはその中から四十一篇と対談二つを選び、ほぼ発表年月日に配列している」ということである。

巻頭を飾るのは俳人の飯田龍太であり、奥野健男、河盛好藏、寺田透らの評論家や、庄野潤三、小沼丹、安岡章太郎、小島信夫、吉行淳之介、阿川弘之などといった「第三の新人」メンバーも顔を揃えている。

公私ともに、井伏さんと親交の深かった小沼丹と庄野潤三は、追悼文の他に二人の対談も収録されていて、この対談がおもしろい。

戦争中、井伏さんがシンガポールへ徴用されたときに東京駅まで見送りに行った小沼さんは、当時のことを振り返って「(東京駅に来ていた人は)太宰治、亀井勝一郎、それから木山捷平。青柳(瑞穂)さんはいない。緑川貢なんていう人、この人も来ていた。井伏さんと一緒に行った人は、高見順とか中村地平とか…」と回想している。

続けて、庄野さんが「シンガポールの宿舎に井伏さんがいたら、中島健三が後から来て、何分ともよろしくって言ったって。戦後になってから井伏さんが中島さんをからかって、あの時は、何分ともよろしくって言ったって言ったら、それを言うなと中島さんが恥ずかしがったっていう話がある」と紹介しているエピソードは興味深い。

その庄野さんからは「井伏さんを偲ぶ」という随筆が収録されている。

井伏鱒二追悼文集「尊魚堂主人」筑摩書房井伏鱒二追悼文集「尊魚堂主人」筑摩書房

井伏さんが亡くなったことを知らせてくれたのは、建築家の広瀬三郎で、その後、庄野さんは千壽子夫人と一緒に荻窪まで弔問に出かけるが、井伏夫人は井伏さんの看護の疲れから、井伏さんが亡くなったのと同じ病院に入院しているということは知っていたそうである。

弔問から帰宅した後も寝付けないままに、庄野さんは『群像日本の作家16 井伏鱒二』を読み始める。

はじめに井伏鱒二アルバムというのがあって、先ず清水町のお宅の仕事机の前に坐っておられるカラーのいい写真が出ている。灰皿と湯飲茶碗だけが置かれた机にゆったりとして向っておられる井伏さん。昭和43年、と書いてある。晩年の井伏さんよりも大分お若い顔であるが、正しく井伏さんのあの獨特の雰囲気をたたえた、いいお顔だ。この写真を見て、ほっとする。「井伏さん、こんにちは」 今はもうこの世におられない井伏さんに向って、何とあいさつをすればいいだろう。(庄野潤三「井伏さんを偲ぶ」)

この文章は、井伏さんが亡くなった直後の、1993年7月12日付け「東京新聞」夕刊に掲載されたものである。

1993年というと、庄野さんは「フーちゃん三部作」の最後の作品となる『さくらんぼジャム』を連載中の頃で、「「井伏さん、こんにちは」今はもうこの世におられない井伏さんに向って、何とあいさつをすればいいだろう」などといった文章には、いかにも庄野さんらしい温もりがある。

そんな庄野さんが惹かれた井伏さんだったから、この追悼文集に入っている文章は、どれもみんな温かいような気がしてくる。

その温かさは、もちろん、井伏鱒二という作家その人の温かさである。

読み終えた後に爽やかな気持ちになることができる、そんな追悼文集だ。

こんなに素晴らしい本が文庫化されていないなんて信じられないくらいに。

井伏鱒二追悼文集「尊魚堂主人」筑摩書房井伏鱒二追悼文集「尊魚堂主人」筑摩書房

NHK特集 井伏鱒二の世界~荻窪風土記から~

今年の夏に、NHKで「NHK特集 井伏鱒二の世界~荻窪風土記から~」という古い番組が再放送された。

1983年10月に放送された番組で、当時の番組名には「~昭和58年度 文化庁芸術祭参加~」とも付されていたらしい。

どうして今頃井伏鱒二の再放送なのかと思ったけれど、貴重な番組なので録画して保存してある。

井伏さんの穏やかな人柄が偲ばれる良い番組だったけれど、少ししか登場していない開高健の存在感が強すぎる。

市井の人々の暮らしを愉快に綴る物語が井伏文学の醍醐味だけれど、後世に読み継がれていくのは、戦争文学として評価の高い『黒い雨』ということになるんだろうな。

僕は今「集金旅行」を読んでいるところだけれど、日本には忘れてほしくない文学作品が、たくさんある。

そんな文学作品を、こつこつと読み続けていきたいと思う。

書名:尊魚堂主人-井伏さんを偲ぶ-
発行:2000/7/25
出版社:筑摩書房

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。