日本文学の世界

小沼丹「昔の仲間」学生時代の旧友・伊東保次郎の思い出(玉井乾介や石川隆士も登場)

小沼丹「昔の仲間」読了。

本作「昔の仲間」は、1970年(昭和45年)8月『群像』に発表された短篇小説である。

この年、著者は52歳だった。

作品集としては、1971年(昭和46年)5月に講談社から刊行された『銀色の鈴』に収録されている。

新潟、酒田、佐渡を旅する

1970年(昭和45年)発表ということは、今から50年以上も昔の作品ということになる。

この年、小沼さんは、『懐中時計』で読売文学賞を受賞しており、10月には三笠書房から『不思議なソオダ水』を刊行している。

52歳という年齢を考えても、作家として脂の乗り切った年齢だったと言えるだろう。

45歳で先妻を亡くし、フィクションに興味を失ってからは、「大寺さんもの」に代表される私小説的な名作を次々と発表した。

本作「昔の仲間」も、学生時代の友人たちの思い出を綴った、いわゆる私小説的な短篇小説である。

一般に、小沼丹の読者というのは、いくつかに分けられることが多い。

芥川賞候補となった頃の純文学の読者、「黒いハンカチ」を始めとするミステリー小説の読者、「風光る丘」などの青春小説の読者、そして、私小説系作品の読者である。

後年、小沼丹といえば、最後の私小説系の作家として定評を得たが、最近、小沼丹の読者となったばかりの自分としては、やはり、フィクションに興味を失ってからの小沼丹の作品がおもしろいと思っている。

この一週間、小沼丹の(特に私小説系の)作品集をまとめて読み返してみたところ、その気持ちが一層強くなった。

本作「昔の仲間」に登場するのは、<伊東>という学生時代の友人である。

それから、自ら「竹林亭主人」と称している<金井>という友人も登場する。

さらに、池袋方面に住んでいる<市川>という友人も出てくる。

この物語は、伊東と金井、市川、そして著者(小沼丹)という四人の若者たちの若き日を描いた、回想の物語である。

思い出の断片を組み合わせたような作品だから、特別のストーリーというものは必要ない(むしろ、無用なストーリーを避けているとさえ感じる)。

強いて言えば、金井と二人で、酒田にある伊東の実家を訪ねたことが、大きなエピソードと言えるかもしれない。

酒田の伊東の家には、金井と一緒に一度行ったことがある。大学一年の夏休のとき、金井と佐渡へ旅行することにして、伊東も引張って行こうということで寄ったのである。区劃正しい水田が矢鱈に遠く迄続いているのを見て、金井と二人で感心していたら酒田へ着いたような気がする。(小沼丹「昔の仲間」)

年譜の1940年(昭和15年)のところに「夏に、友人の玉井乾介、伊東保次郎と新潟、酒田、佐渡を旅する」とあるから、作中の<金井>が玉井乾介であることが分かる。

「昔の仲間」で、酒田や佐渡を旅した回想のところは、ちょっとした紀行小説を読むようで楽しい。

伊東と二人で深大寺(東京都調布市)を訪れる場面も印象深い。

深大寺へ行って、帰りに井の頭の池畔でビイルを飲もうと云う話になって、或る日、伊東が三鷹の僕の所にやって来て、一緒に歩いて出掛けたことがあった。麦秋の頃の好く晴れた日で、黄ばんだ麦畑のなかの路を歩いて行くと、練習機が麦畑に影を落して飛んで行ったりした。(小沼丹「昔の仲間」)

この作品を読んだ大学の同僚が、深大寺まで行って、小説のなかの男の真似をして、裸になって滝に打たれてきたという話が、短篇小説「鳥打帽」に出てくる(『木菟燈籠』所収)。

「鳥打帽」は、いわゆる大寺さんものの作品で、滝に打たれているうちに眼鏡を失くす大学の先生が<上松さん>だった。

孤独な上松さんを描いた「鳥打帽」もまた、私小説系の切ない作品だったように思う。

今は亡き友人に送る追悼文学

何気ない昔話の中に通底しているのは、今はもう亡き友人に対する哀惜の情である。

暗い長いトンネルがあって、トンネルを出て見たら、いつの間にか座席のあちらこちらに空席が出来ていて、座席の主は帰って来ない。棚の上に残されたのは、追憶と云うトランクだけである。伊東の座席も空席の儘竟に塞がらない……。雨に濡れる青葉を見ながら、そんなことを考えていたように思う。(小沼丹「昔の仲間」)

人生の列車において、空席が埋まることは永遠にない。

棚の上に残されたトランクを、ひとつひとつ開けていく作業こそ、小沼さんにとって小説を書くということだったのだろう。

伊東は、もちろん、当の昔に死んでしまっているが、「伊東がいつどこで死んだか、忘れてしまった」とあるあたり、必要以上の感傷を拒む小沼スタイルだと思う。

感傷は、昔の思い出を語るだけで十分だったのかもしれない。

そして、今生きている友もまた、あれから年を取った。

久し振りだから二人で乾杯して飲んでいると、金井は想い出したように、市川はどうしたろう? と訊く。娘が嫁に行ったそうだと教えてやったら、ふうん、と天井を見上げて、「──彼奴もいよいよ爺さんか……」と云った。気が附くと、そう云う金井の頭も半分ばかり白くなっている。(小沼丹「昔の仲間」)

ここに登場する<市川>は石川隆士のことで、後に小沼さんは、石川隆士への追悼小説「翡翠(とり)」を書くことになる(『埴輪の馬』所収)。

<金井>こと玉井乾介は、1990年(平成2年)12月17日に亡くなっているが、小沼さんが、玉井乾介への追悼小説を書くことはなかった。

小沼さんが小説を発表するのは、1986年(昭和61年)2月の「トルストイとプリン」が最後だったからだ。

ただし、玉井乾介の思い出は、「筆まめな男」という随筆に綴られていて、『珈琲挽き』で読むことができる。

月並みな表現で言えば、小沼丹の小説は、人生のはかなさを、しみじみと感じさせてくれる小説だ。

若いうちは、こんな小説を面白いとは思わないかもしれない。

こういう小説は、面白いと思えるような年齢になってから読めばいいのである。

人間社会において、人間が年老いていくことを止められない限り、小沼丹の小説はなくならないように思う。

死は誰にでも身近なものであり、思い出は誰にでも懐かしくて切ないものであるからだ。

自分は今、小沼丹の小説を面白いと思える年齢になったことを、率直に嬉しいと思う。

福原麟太郎さんの言葉で言えば、ようやく大人になったということかもしれない。

作品名:昔の仲間
著者:小沼丹
書名:銀色の鈴
発行:2010/12/10
出版社:講談社文芸文庫

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青いバナナ
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