日本文学の世界

【文学散歩】福原麟太郎の愛した町「野方の里」を歩く

【文学散歩】福原麟太郎の愛した町「野方の里」を歩く

福原麟太郎は、自分の住む街を「野方の里」と呼んだ。

福原さんが亡くなって、既に40年以上が経つ(1981年1月18日に逝去)。

野方の里は、今、どのような街なのだろうか。

福原麟太郎の「野方の里」を歩く

西武新宿線「野方駅」北口駅前の風景。西武新宿線「野方駅」北口駅前の風景。

高田馬場駅から西武新宿線に乗ると、およそ10分ちょっとで野方駅に着く。

福原麟太郎の住んだ街へ行くには、野方駅を北口から出た方がいい。

駅前は、既に、郊外にある閑静な住宅街といった風情をたたえている。

ここが、かつて、福原麟太郎が「野方の里」と呼んだ野方町である。

野方の里といっても、たいていの人にはわからない。東京都中野区野方町一丁目のことで、その五七六番地に、この筆者が住まっているのである。その野方の里だ。(福原麟太郎「野方の里」)

福原さんが、野方の里の住人となったのは、戦後間もなくのことで、当時は、この辺りにも麦畑が広がっていたらしい。

その町はずれの小さな家を買って、昭和二十三年の夏、暑いさかりにこの町へ越して来たとき、書斎にした六畳の窓をあけると、生けがきの外にはすぐ麦畑が見渡すかぎり海のように続いており、涼風がそよそよと吹き込んで実に快適であった。(福原麟太郎「野方の里」)

福原さんの住居跡を目指して、まずは、環状七号線に沿って進む。

歩道橋を渡って、環状七号線を越えた。歩道橋を渡って、環状七号線を越えた。

福原麟太郎の古い随筆にも、この大きな自動車道路は登場していた。

歩道橋を渡って、環七を越えると、福原麟太郎文学散歩は、いよいよ静かな住宅街へと入っていく。

昭和40年頃、地番改正があって、福原さんの自宅の住所も変更された。

私の番地は、中野区野方町一丁目五七六であったが、こんどは野方(町をぬいて)四丁目三九の九となった。(福原麟太郎「かわる」)

だから、この文学散歩のゴールも「東京都中野区野方4丁目39-9」ということになる。

福原さんが亡くなって、既に40年以上の時が経つ。

古い住宅街も、すっかりと様子が変わっていることだろう。

環状七号線から右折すると、福原麟太郎邸跡までは、ほぼ一本道である。

いよいよ近くなったところで、細い路地に入って、かつて福原さんが暮らしていただろう、住居跡に到着。

福原麟太郎の住居跡地。新しい住宅が建ち並ぶ。福原麟太郎の住居跡地。新しい住宅が建ち並ぶ。

周辺には、すっかりと新しい住宅が建ち並び、当時を偲ぶ面影もない。

もちろん、何かが残っているだろうなどという期待はなかった。

僕は、ただ、福原さんの愛した「野方の里」という町を、実際に歩いてみたかっただけなのだ。

ここが、かつて「野方の里」と呼ばれたことを知っている人たちは、果たして、この地域にも、まだ残っているだろうか。

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篭原観音と福原麟太郎の散歩コース

せっかくなので、福原さんの散歩コースを歩いてみよう。

福原さんの書いた古い随筆に出てくるもので、今も残されているものが、ちゃんとあるのだ。

私の家の近くの道を散歩していたら、中学校の校地の角のところで道が二股に分れる。そこに観音様の石像が立ったり倒れたりしていた。二つは台石に載っかっているが二基は台石だけである。道しるべを兼ねたものと見えて、右なかむら道、左あら井道などと彫ってある。(福原麟太郎「篭原観音その後」)

「篭原観音」は、福原さんの随筆に何度も登場する、野方の里のランドマークだ。

まずは、中学校(中野区立緑野中学校)を目指して歩いていく。

篭原観音の近くにある中野区立緑野中学校。篭原観音の近くにある中野区立緑野中学校。

ゴールデンウイークなので、もちろん、中学校には誰もいない。

静かな中学校の角地にあるのが、籠原観音である。

篭原観音という、小さな祠の前へ出た。いつもそこで合掌して拝む習慣である。その向いが中学校の運動場で、今日は休日だから町の青年たちが野球をしている。(福原麟太郎「土曜日曜」)

篭原観音の脇には、古くて大きな樹が陰を作っていた。

福原麟太郎の随筆に登場する篭原観音。福原麟太郎の随筆に登場する篭原観音。

福原さんの随筆で、何度も読んだ篭原観音の前に立つと、自分が、いよいよ「野方の里」にいるのだという実感が沸いた。

ここは、古くから武蔵野と呼ばれた土地である。

旅の人たちも、篭原観音を拝みながら、通り過ぎて行ったのだろうか。

篭原は、この付近の古い地名で、その昔、祭りの篭が天高く舞い上がり、お祈りをして引き降ろしたという面白い伝説のあるところです。(中野区教育委員会「篭原観音」)

かつて四体あった石仏のうち、現存しているのは、馬頭観音と聖観音の二体だけで、他は台座しか残っていない。

篭原観音の由来が書かれた説明版(中野区教育委員会)。篭原観音の由来が書かれた説明版(中野区教育委員会)。

中野区教育委員会の作った説明版に、そう書いてある。

以前、これらの石仏は、草むらに点在していましたが、昭和三十八年に区立第十一中学校(現緑野中学校)建設の際、地元有志によりここに納められたものです。(中野区教育委員会「篭原観音」)

篭原観音にお詣りをして、ゆっくりと中学校を離れた。

「野方の里」と呼ばれた住宅街。「野方の里」と呼ばれた住宅街。

ここは、かつて福原さんが歩いた町である。

薄暗い住宅街の夜道、ところどころに街灯の立った淋しい道を、ぼんやりした老人の影法師が、犬をつれて、空を眺めながらゆるゆると散歩している。今夜も明日も。来年も再来年も。百年の先にも、きっと。(福原麟太郎「散歩」)

「ぼんやりした老人の影法師」は、今も、この町の道を散歩しているのだろうか。

できることなら、こんな町で暮らしてみたいと思う。

もちろん、そんなことはできない。

僕らは、福原さんの随筆を読むことで、「野方の里」の住民となった気分を味わうだけだ。

野方駅へ向かう帰り道も楽しかった。

環状七号線沿いの歩道は木陰が多くて散歩にぴったり。環状七号線沿いの歩道は木陰が多くて散歩にぴったり。

文学散歩は、誰もやらないことだからこそ楽しいのかもしれない。

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やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。