外国文学の世界

竹内康浩・朴舜起「謎ときサリンジャー」文学探偵とバナナフィッシュにうってつけの日

竹内康浩・朴舜起「謎ときサリンジャー」あらすじと感想と考察

竹内康浩・朴舜起「謎ときサリンジャー―「自殺」したのは誰なのか」読了。

本書は、『ナイン・ストーリーズ』に収録されたサリンジャーの短編小説「バナナフィッシュにうってつけの日」についての研究書である。

「シーモアはなぜ自殺したのか?」という永遠の命題

帯に「文学探偵」の文字があるように、本書はミステリータッチで文学作品を考察する、異色の文芸批評である。

そこにあるのは、文芸批評というジャンルが有する無限大の可能性だ。

そもそも正解の存在しない文芸批評の世界において、その解答の是非を議論することには、あまり意味がない。

読者は自分の好きなように文学作品を楽しむ自由を有しているからだ。

ただし、文芸批評は、解答だけではなくプロセスを楽しむ作業でもある。

というよりも、むしろ、プロセスを楽しむ作業こそ、文芸批評の醍醐味なのではないだろうか。

そういう意味で、本書『謎ときサリンジャー』は、際どいくらいに斬新な切り口で、「バナナフィッシュにうってつけの日」という文学作品を分解していく。

そもそも「バナナフィッシュ─」は、「シーモアはなぜ自殺したのか?」という永遠の命題(謎)を持つ作品である。

1948年(昭和23年)の作品発表以来、多くの研究者たちが、その謎の解明に挑んできたが、未だに正解は見出されていない(ほぼ正解だろうと思われる通説は、ある程度定着してきているにしても)。

ところが、本書において、二人の著者は「自殺したのは誰なのか?」という新たな命題を掲げて、「バナナフィッシュ─」の検証に取り組んだ。

「シーモアはなぜ自殺したのか?」という理由が判然としない原因を、著者は「自殺したのは誰なのか?」という命題へと置き換えたのである。

バディーという人格が、半分は死者シーモアによって成り立っているのなら、作家としてバディーが書く作品もまた、半分はシーモアという死者が書いていることになる。作家バディーがサリンジャーの化身であるならば、サリンジャー自身もまた、自分が書くものは死者が半分を書いていると感じていたのかもしれない。(竹内康浩・朴舜起「謎ときサリンジャー」)

論理的には、かなり解釈が難しい部分があるものの、本書からは、文芸批評の持つ無限大の可能性を大いに感じた。

読者は、既出の解釈にとらわれることなく、文学作品を自由に読んでかまわないのである。

そのことが、本書の持つ大きな意義なのではないだろうか。

松尾芭蕉はバナナだった?

本書では、複数のサリンジャー作品を論拠として「バナナフィッシュ─」という短篇を読み解いている。

そのうちの一つが、同じく『ナイン・ストーリーズ』所収の短篇「テディ」だが、ここに興味深い考察がある。

それは、松尾芭蕉の「芭蕉」は、バショウ科バショウ属の植物に因んだ雅号だが、その植物を英語では「バナナ」と呼ぶというところである。

芭蕉がバナナの意であることは、古くから英語で紹介されている。十九世紀末のウィリアム・ジョージ・アストンによる『日本文学史』には、「芭蕉は江戸の深川に東屋を自分で建て、窓の外に芭蕉(a banana-tree)を植えた。それが生い茂ったので、そこから彼は芭蕉(バナナ)という名をもらい、後世にも芭蕉として知られるようになったのである」とある。(竹内康浩・朴舜起「謎ときサリンジャー」)

1911年(明治44年)に出版された『日本の詩歌』(バジル・ホール・チェンバレイ)でも、芭蕉の名前が「バナナ・ツリー」に由来していると書かれているそうなので、少なくとも、サリンジャーは「芭蕉=バナナ」だと理解していた可能性がある。

さらに、鈴木大拙の英文の著作『禅と日本文化』では、松尾芭蕉の俳句についての言及があり、「テディ」の中で、芭蕉の俳句と禅仏教が、ともにテディの言葉と語られているのは、「バナナフィッシュ─」との関連を伺わせる論拠としての可能性を感じさせるのではないだろうか。

今回、本書を読んだ中で一番興奮したのが、この「芭蕉=バナナ」説の部分である(個人的に、俳句が好きだという事情もあるが)。

ここまで来ると、既に文芸批評の範疇を越えているような気もするが、少なくとも、作家サリンジャーの中で、バナナフィッシュと松尾芭蕉とがつながっていたのだとすれば、「バナナフィッシュ─」を読み解く上で、今一度、松尾芭蕉を検証してみる価値はあるかもしれない。

結局、文学的考察は、どんなパターンがあってもいいわけで、そんな関心を惹起させてくれるところも、本書の大きな魅力の一つなのではないだろうか。

ただし、サリンジャー作品を一通り読んでいないと、ほとんど理解できないことに注意。

サリンジャー・マニア向けの研究書として。

書名:謎ときサリンジャー
著者:竹内康浩・朴舜起
発行:2021/08/25
出版社:新潮選書

ABOUT ME
やまはな文庫
アンチトレンドな文学マニア。出版社編集部、進学塾講師(国語担当)などの経験あり。推しは、庄野潤三と小沼丹、村上春樹、サリンジャーなど。ゴシップ大好き。