日本文学の世界

井伏鱒二「くるみが丘」ドヤ街で生きる家出少年たちの東京冒険物語

井伏鱒二「くるみが丘」あらすじと感想と考察

井伏鱒二「くるみが丘」読了。

本作「くるみが丘」は、1965年(昭和40年)1月から12月まで『オール読物』に連載された長篇小説である。

この年、著者は67歳だった。

単行本は、1966年(昭和41年)3月に文藝春秋から刊行されている。

労働者に支えられた少年たちの未来

1967年(昭和42年)1月に刊行された、あかね書房「少年少女日本の文学」版の『くるみが丘』には、小沼丹の解説が収録されている。

二十五年以後も、井伏さんは、たくさん作品を書きました。かつて井伏さんが作品をみてもらった谷崎精二氏が、ぼくにこういったことがあります。「──井伏鱒二は、作品をたくさん書く。それはべつに偉いと思わないが、駄作を書かないのはたいへん偉い」(小沼丹「井伏鱒二──人と作品──」)

この解説は、未知谷の『小沼丹全集』にも、銀河叢書の随筆集にも収録されていないようだが、少年少女向けとはいえ、非常に力のこもった井伏鱒二案内となっている(「くるみが丘」の書評は『福寿草』に収録)。

本作『くるみが丘』は、心ない体育教師の言動によって、心を深く傷つけられた二人の男子高校生が家出をし、上京して労働者となる様子を描いた長編物語である。

読書のポイントは二つあって、一つは、登場人物たる大人たちの言動である。

授業中、心ない体育教師の言動によって、いわれのない辱めを受けた二人は、上京して、パチンコ店の裏方や、日雇いの港湾労働者などとして働く。

当然、宿泊場所は、住所不定の人間が集まる<ドヤ街>ということになるが、このドヤ街で知り合う大人たちは、みんなちゃんと優しい。

「つまりご隠居さんは、学課でいったら社会科に興味をお持ちですね。それとちがいますか」「さようですな。わたしはドヤ街が好きでして、ことにこのドヤ街が気に入りましてな。つまり学課でいえば、社会科に興味を持っておることになりますかな」(井伏鱒二「くるみが丘」)

さらに、ドヤ街で知り合った老人の紹介によって、彼らは、出版センターの個人経営者<華山さん>の、私設秘書兼助手として働くようになる。

華山さんの仕事は、やがて、彼らの故郷へと舞台を移し、華山さんは二人に家へ戻るよう厳しく言い渡す。

「じゃ、わたしらはおはらい箱にされるんですやろか」と習太がいうと、「きみたち、汐どきが大事だということを考慮に入れなくちゃいかん」と華山さんがにがい顔でいった。(井伏鱒二「くるみが丘」)

つまり、インテリゲンチャであるはずの高校教師が、少年たちの将来を奪う一方で、下層社会で働く労働者たちが、少年たちの未来を支えているといった大きな構図が、この物語にはあるのだ。

小沼丹の解説にある「井伏さんの作品は、英雄豪傑とか、一流ぶった人間とは、縁がありません。庶民的です」という井伏文学の特徴を、本作の大きな構図としても読み取ることができる。

そのことが、まず、おもしろいと思った。

ドヤ街で生きる家出少年たち

そして、もう一つの観点として細部に目を向けると、本作『くるみが丘』で重要な舞台となっているのが、いわゆる「ドヤ街」である。

上京した最初の夜、彼らは、平井(江戸川区)のドヤ街にある簡易旅館に泊まり、ここでパチンコ店の仕事を見つける。

両国から先は、いろんな宿屋が電車の窓から見えた。赤や青の明かりをしこんだ店看板に「簡易旅館」「御一泊、八十円より二百円」というような字が書いてある。錦糸町、亀戸あたりから、ニコニコ荘、親和荘、亀戸旅館というような宿屋が、電車のなかから見えている。(井伏鱒二「くるみが丘」)

さらに、彼らは、港の沖仲仕として働くため、横浜にある松影町というドヤ街にも出入りするようになる。

「おじさん、こわい町じゃないんですやろか」と習太がたずねると、「そりゃこわい目つきの者が、うようよいるがね。ちゃらちゃらしていなけりゃ、こわい目にあわねえよ。とにかくふしぎと貧乏が気にならねえ町だ。だからよ、どうにも足を洗わしてくれねえ町だ」といった。(井伏鱒二「くるみが丘」)

この物語で井伏さんが書きたかったもの、それは、こうしたドヤ街でたくましく生きる労働者たちの生活だったのだろう。

パチンコ店の裏方の仕事や、沖仲仕の仕事も、細部まで詳しく描かれていてリアリティがある。

一方で、ドヤ街で生きる家出少年たちに悲壮感はなく、むしろ、明るく、前向きに、生き生きと仕事と向き合っている。

つまり、本作『くるみが丘』は、肉体労働者に対する温かい眼差しをもって描かれたドヤ街の物語として読むことができる、ということだ。

作品タイトルの「くるみが丘」は、故郷にある丘の名前である。

ハンドルをもうちょっとひねると、岡の上につづく道の登り口に「石田雄正先生遺跡、くるみが丘」ときざんだ石の標柱を照らした。石田雄正先生というのは旧藩時代の医者で、晩年この岡の上の隠居所で患者を治療していたそうだ。(井伏鱒二「くるみが丘」)

捨てたはずの故郷に対する少年たちの愛情も、この物語を支えている大きなテーマの一つだろう。

家出少年たちに、思わず励ましの言葉をかけたくなるような、そんな温かい小説だった。

若くてたくましい少年たちの、心温まる東京冒険物語である。

書名:くるみが丘
著者:井伏鱒二
発行:1967/01/20
出版社:あかね書房

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やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。